社会ラジオの実況中継 6上第15回 政治外交史1
- Shun
- 2024年6月13日
- 読了時間: 39分
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00:00〜冒頭部分
みなさんこんにちは、シュンです。では第15回政治外交史1いきましょう。旧石器時代から鎌倉時代までを一気にやっていく回になります。16回と17回と、3回で歴史を復習していくような形ですね。なので小学校5年生の下巻の内容をきゅっと3回におさめたような形になるのでかなりのスピードで進んでいくことになるのと、詳しく全部やっていくというよりは政治外交史の主だった流れをおさえていくという形になります。ただ結構細かいことまで書いてあるので政治外交史の部分はこれでおさえられるかなと思うので、あとは文化とか社会史の部分ですね。人々の生活とかを小学校5年生のところでもう一回復習するという形になります。なので夏休みとか通して結構時間がとれるのであれば小学校5年生の僕の社会のこのラジオを聞いてより深いところは復習をしていただければなと思います。
では145ページ、支配者の変化というふうに書いてありますのでそこからいきましょう。中身を全部やってると時間がないので一個一個いきますが、まず初めにでてくる、支配者を追いかけていこうというのが鎌倉時代までのおさえるポイントですね。誰が政治をしたのか、ということが中心に歴史が出てきますよ、ということです。逆を言うと全部が記録されてるわけじゃないので、こういう日本の中心、支配者の人たちの記録しか詳しくは残っていないわけですね。なのでそこが歴史として残っているので覚えていくということです。なので逆に言うとですね、支配者の人たちが書いていくのが歴史になるので若干支配者にとって都合のいい書きっぷりになっているんじゃないか、なんていうところも分かるんですが、他の部分のところにですね、それを裏返すようなことが書かれていないiというか、記録が残っていないので今の日本の政治はこれが正しいものと捉えていくという形になります。
なので支配者の変化ということでまず邪馬台国の卑弥呼。その次に大王を中央とした豪族の☆清光政権☆であり大和政権。そして律令政治が基本となる天皇を中心とした中央集権国家の政治。だんだんこれが奈良時代くらいまで、奈良時代平安時代の頭までは天皇中心だったのですが、貴族が力を持つようになり、出てきたのが藤原氏ですね。その次に武士も力をつけてきたのですがまずは上皇が政治をするようになり、そして最後に武士、という形で、平氏そして源氏というのが今回の主な流れになります。
では一つずつ見ていきましょう。146ページですね。まず旧石器縄文から弥生までに関してはほとんど人は出てこないというので、文字、記録が残ってないからですね。文字としての。なので出てきた化石を調べていくような形で、発掘して新しいものが出てくるという形になります。
3:10〜旧石器時代
ではまずいきましょう。1番。旧石器時代ですね。旧石器時代は日本にはまだないと初めは思っていたということですね。というのは旧石器時代を代表するようなものが出てこなかったからということになります。ただ群馬県の岩宿遺跡から旧石器が発見されたことによって日本にも旧石器時代があったんだなということで分かりましたということです。旧石器は打製石器と言われるものですね。叩いて砕けて作っていくようなイメージで捉えていただいていいです。それに対しては磨製石器ですね。新石器とは言わないんですけれども一個レベルアップしたのが磨製石器。これは石と石を擦り合わせて磨くというような形ですね。この打製石器しかない時代を旧石器時代ということで、群馬県の岩宿遺跡から旧石器を見つけたことで旧石器時代があったということがわかるということになります。右のページにですね、全部岩宿遺跡とか大森貝塚、☆とるいせき☆、吉野ヶ里遺跡とか色んな遺跡がありますけども、全部今日はやりませんが、セットで覚えるんでしたね。何県にあるということと、遺跡の名前とそしてそれがなんで覚えないといけないかということです。岩宿遺跡だけやると、群馬県の岩宿遺跡、これは旧石器時代があったということがわかるというものでしたよね。というのをしっかりと見ていきましょう。ではこの後の説明で出てくると思いますのでそれぞれ出てきた時にそこを意識していきましょうということと、この地図とかに書き込んじゃってもいいと思いますのでしっかり書きながら見ていくということです。
4:45〜縄文時代
続いて縄文時代ですね。縄文時代は代表的なのはまず土器を使っていたということです。さっきの旧石器に対して磨製石器というのも出てきてますがもっと代表的なものとして土器ですね。が有名なのでこれが時代の名前になっているということです。縄文土器は下に、また右下の方に写真が載ってるので見てみましょう。もっと複雑な形をしているものもありますよね。これによって何ができるようになったかというと、食べ物の煮炊きができるようになったということです。なので貯蔵したりとか普段硬くて食べれないものを煮て食べやすくしたりとか、ということで食生活が広がっていく、向上していくということですね。家も作るようになって竪穴住居という家を作りましたということでした。基本的には定住はしてないと思われたのですが、三内丸山遺跡とか大規模な集落も出てきてるので定住もしていたんだなということもだんだん分かってきてますよということです。人が家を建てて住むと、その土地にある程度住むということになるとゴミ捨て場みたいなものも出てくるのでそれが貝塚でしたということですよね。あとは魔除け・安産・豊かな実りを祈るためということでそういったものを祈っていくものとして土偶というものも作られるようになっていったということです。この頃はまだあまり貧富の差、財産という考えがなかったということがあるので、大きな差が死者の葬り方とか住居の作り方・大きさに出てきてないということですね。出てきてないので貧富の差とか身分の差があまりなかったんじゃないかという風に考えられているということです。三内丸山遺跡は大規模な集落があってそこに各地の出土品とか遠い地域と交易していた、黒曜石とかのものですね、とかが出てきているので差がなかったわけではないんだろうな、ということが分かっておりますと、いうことです。
6:50〜弥生時代
続いて弥生時代ですね。弥生時代はやっぱり弥生土器を使っていくこともそうですが、
稲作が始まったということが特徴的な時代になります。ただこれは弥生時代に稲作が広まった、誰かが教えてくれたというわけではなく、弥生文化を持っている人たちが大陸から移り住んできてるという風に捉えてください。なので稲作とかこういった弥生土器とかいう技術は大陸でもっていたものも持ってきているという風になります。なので縄文時代の代表的な民族と弥生時代の代表的な民族はちょっと違うんだということですね。ただ縄文人はどこにいっちゃったんですかというと、どんどん北に追いやられていったり南の端っこの方に追いやられていったということになります。なので琉球王国とかアイヌの人たちが初め江戸時代くらいまで正式に日本じゃなかったというのはこういった民族的な違いもあるというふうに推測されてますよというふうに整理していただいて大丈夫です。
まず弥生時代、稲作が始まりましたよということですね。稲作関係で出てくるのは稲作の農具とかで、田げたとか石包丁、高床倉庫というのがありましたということでした。この辺はもう一回小学校の先生のところで写真を見ながら復習をして下さい。稲作が九州から東北まで広がりっていうのは先ほど言った通りですね。弥生人が広がったエリアというのがここだったということになります。稲作が始まるとお米が貯蔵できるので、蓄えがあって財産という考えが出てくるわけですね。そうすると貧富の差、あとはいっぱい持ってる人とあまり持っていない人で身分の差なんていうものが出てきて、人が人を支配するという形が出てきますよということです。初めは村とかだったんですがそれが国という大きな集合体になっていくというようなことがこの時代からわかりましたということですね。で、豊作を祈ったりする主導者とかも出てきたり、祭器として青銅器が用いられるようになりましたということでこれはしっかりと見ておきましょう。祭器として青銅器が使われていて武器とか農具は何を使っていたんですか、というとこれには鉄を使うようになったということですね。大陸では青銅器が武器とか農具にも使われていてその後鉄器に移り変わっていったということがあるのですが、日本の時はその技術を持っている人たちが入ってきて、完全に使い分けていたので、日本では青銅器は祭器として、そして鉄器に関しては農具とか武器に使うというのが区分けされているということになっているのでそこももう一回復習しておきましょう。
そうすると今度はですね次のページに行きまして、国ができると争いが始まります、というので戦争が始まるということですね。これは人間戦争ばっかしてるように見えますが言ってしまえば縄張り争いなので、これは動物の世界でもどこでもありますよね。なので割と自然な流れでこういうことがでてくるということになります。良いことじゃないんですけども、歴史的にはそういうのは繰り返されてるということですね。は知っておくこととしてしっかり頭に入れておきましょう。戦争が始まると今度は戦いを勝つ、勝たないとかということがあるということですね。攻められないように村を強化していくよということです。なのでこの時代から敵の侵入に備えて周囲に掘りですね、穴を掘ってそこに水を溜めたりして敵が侵入しにくくするということですね。日本でもお城があると思いますので、それと似たようなものがあったということですね。あんな立派じゃないですけども。そういう囲まれた集落ということを環濠集落といいますよということですね。代表的なのが吉野ヶ里遺跡でした。あとは☆板付遺跡☆ですね。吉野ヶ里遺跡の方が大規模になります。あとこの時代はごめんなさい、飛ばしちゃったのですが稲作で有名なのが登呂遺跡でしたのでここも復習しておきましょう。
ということで弥生時代はこういったものが見つかって分かってるということですね。ただ中国の歴史書にはこの頃の日本のことがいろいろ書かれていたよということがあるので、この頃は日本に文字がないので中国の歴史書から紐解いていきましょうということで、中国の歴史書が出てきます。三つですね。まず漢書地理志、後漢書東夷伝、魏志倭人伝とまず口で唱えて覚えて漢字をしっかりと書けるようにしましょう。で、何が書いてあったのかを覚えなきゃいけないので頑張って覚えていきましょう。
漢書地理志は倭という日本には100あまりの国があったんだよということが書かれてました。それだけです。
後漢書東夷伝には1世紀には奴の国と言うのがあって中国の後漢という国ですね、漢なのですが漢が2回にわかれているので後ろの方の漢を後漢と指していますと。後漢に遣いを送って皇帝から漢の奴の倭の国王さんですよと書いてある金印をもらいましたということですね。この金印は江戸時代に志賀島で見つかっていますよということなので、このことは本当だったんだなということが裏付けて分かったということになります。なので奴という国はあったんだなってことも嘘じゃないってことですね。
続いて魏志倭人伝というのがありましてこれは3世紀頃ですね。これに有名な邪馬台国の卑弥呼さんがいたよと、いうことと30あまりの小国を従えていたんだということですね。100は30くらいまで少なくなっているのですが統合されていってるわけですね。で卑弥呼は魏に遣いを送って親魏倭王の称号とか金印、銅鏡を授かりましたというのが書いてありますが、この親魏倭王、金印とか銅鏡が見つかっていないので邪馬台国がどこにあったのかっていうのは分かっていません。本当にあったのかはまだ分かりませんということですね。ただ後漢書東夷伝の金印が出てきたので、ある程度中国の歴史書の日本のことは正しいことが書いてあるんじゃないかということからこれを日本の歴史にしているということですね。邪馬台国の漢字とか卑弥呼の漢字を見ると卑しいとかですね、邪とか邪悪の邪とか馬もあまりいい意味として使ってないわけですからこういう当て字が使われている時点でちょっと怪しいねということがあるのですが、これしか歴史には残ってないのでこれが正しいと今は日本はなってるので入試にもそう出るのでしっかり覚えていきましょうということです。
13:00〜古墳時代
続いて古墳時代ですね。この頃になると日本の文字が出てきますので日本に出てきてる記録から歴史を紐解いていくということになります。
まず邪馬台国というこの国が出てきますと。失礼しました。邪馬台国は卑弥呼の時ですね。その後大和政権という国が出てくるんですと。この邪馬台国と大和政権が同じなのかは分かっていません。邪馬台国っていうのは奈良県ですね。大和地方中心に、大王という、1番のボスだと思って下さい。と豪族による連合政権というのができていったよということですね。この大王が後に天皇というふうに名前が変わる、名乗り直すという形だと思って下さい。この頃はエジプトでいうピラミッドみたいな日本も大きな権力者の墓を作るようになったということですね。これが古墳ということで、日本は前方後円墳という形が有名でしたということです。これが右側のですねワカタケル大王という鉄剣が出てきまして、こういう人がいたんだということが分かったということですね。この鉄剣は埼玉県の稲荷山古墳で出てきたり、埼玉の、失礼しました、熊本の枝船山古墳でも出てきてるということですね。しっかり覚えておきましょう。この人はワカタケル大王と名乗っていたということ。中国からは倭の豪王の武と呼ばれていたということ。雄略天皇というのはあとから遡って付けたわけですね。雄略天皇であるという風にされているということです。なのでこういったのが日本の歴史から出てくるということとこの稲荷山古墳の鉄剣は日本で確認できる1番最古の文字だという風になっておりますのでそう言った感じでもインプットしておきましょう。
ではカッコ2。渡来人と文化の伝来ということですね。この頃も大陸から色んな人が渡ってきて、一族で引き連れてくるという形ですね。住み移ると、移り住む時に、
新しい技術をいっぱい持ってきてくれるので歓迎されるということです。機織り、金属加工、土木工事などの技術を持ってきたということですね。特に覚えないといけないのは百済という国から、これは日本と仲のいい国ですね。5世紀には儒教、6世紀には仏教というのがそれぞれ伝えられたんだということはしっかりと覚えておいて下さい。
揺らぐ大和政権ということですね。6世紀になると物部氏曽我氏などの有力な豪族などが勢力争いを繰り広げましたということです。その頃から始まるわけですね。大王がいて、天皇が中心なんですが、その下に来るような豪族がナンバー2という形で出てきて覇権争いをするわけですね。もうずっと歴史は繰り返してますよね。曽我氏は多くの渡来人を従えて仏教が伝わるとその努力に務めましたということです。物部氏は仏教を入れないよということですね。日本は仏教以外にも宗教はもともとあります。国教みたい感じですね。国教といいますか、神様を祭るという考え、神教ですね。これが神社が代表するものになりますけども、それもあるので、外国の神様を入れるのはどうかということで曽我氏と物部氏が対立したわけです。
結局曽我氏が勝ったのでその後色々お寺を作ったり、仏教が政治に近いところに入ってくるということですね。結局曽我氏が勝ちまして、推古天皇を一族の女性を天皇にしたわけですね。なので結局天皇は天皇で力あるんですけども曽我氏がかなり実験を握るということですね。ずっとこんなことやってますよね。で、推古天皇の時は聖徳太子という人ですね。もうこれは有名なのでいいと思いますが、厩戸皇子という名前であることはしっかりとここでも見ておきましょう。
そしてその人を摂政として、天皇が女性だったり未成年だったりする場合に摂政という形で補佐役として出てくると。摂政が政治を中心でやっていきますということです。そして曽我氏の中心はこの時代は馬子でしたということです。で天皇を中心とした新たな政治の仕組みを整えていくことにしましたということです。主にやったこと、推古天皇、羅の政治と書いてありますが、聖徳太子であったり、馬子であったり、基本的には聖徳太子のものという風に出てきますけども一緒にやったと捉えていただいていいと思います。冠位十二階憲法17条遣隋使の派遣というのをやりましたよということです。遣隋使は隋の制度や文化を取り入れるために行きましたということで小野妹子さんが有名でしたということですね。ただ対等な関係を結ぼうとしたということで隋の皇帝を怒らせてしまったということもここで改めて復習しておきましょう。で聖徳太子が亡くなった後に次に誰が政治をしますかと、148ページですね。曽我氏はまた勢力をどんどん伸ばしていってこの時代の曽我氏は
蘇我蝦夷、入鹿親子ですよということです。これに対して天皇ですね、皇族の関係の人たち、中大兄皇子は、これはまずいということで、中臣鎌足、後の藤原一族の人たちですね。と手をとってこの親子を滅ぼし、大王の中心の、天皇中心の政治を作ろうという風にやりましたということです。この戦いのことは乙巳の変というんですけども、この一連の戦いから政治の改革のことを大化の改新といいますということですね。大化の改新の政治の内容として何をやったんですかというのは右の四角の改新の詔というのを出したということです。その一つの土地制度の方針が重要なのでしっかり見ていきましょうということですね。まず覚えるべきことは公地公民ということで全部天皇のものですよという風にしたということです。人も土地もですね。なので国家が直接支配するということです。支配するにあたって戸籍が必要なので、どれくらい人が住んでるのかということと土地がどれくらいあるのかというのがしっかり調べないといけないわけですね。調べた上でそれを戸籍にしてそして税金を納めるために田んぼを分け与えるということをやったということでした。これは口分田というものでしたよね。下に、ごめんなさい、先に進んで後からいきましょうか。
カッコ6番。外交の話です。はくそんこうの戦い、はくすきのえの戦い、どちらでもいいですけども、新羅と唐という、新羅ですね。と百済の戦争がありまして、どっちが朝鮮の覇権を握るかという形ですね。真ん中に地図があるので見ておきましょう。東側にあるのが新羅、西側にあるのが百済になります。右か左かみたいな感じで、百済のだと左のだとか、こういう風に覚えておけば間違い無いと思うので位置たまに問題出ますのでしっかり見ておいてください。
結局新羅は唐、中国と手をとって戦いにいったということですね。百済は日本と仲がいいから助けてと言って日本からも送ったんですけど結局負けちゃったよということです。中大兄皇子は都を大津に移しその頃には天智天皇という風に名乗りましたということです。新羅は高句麗を滅ぼして朝鮮半島を統一したということになります。これはしっかり覚えておきましょう。
実はその頃に遣唐使というのが第一回として行ってますよということです。これが
1630年です。第一回の遣唐使の人は犬神の御田鍬ということです。なので戦争は戦争でやってるんですけど意外とこういう国と国の争いの部分はあるんですけど民間とかそういうレベルでは交流とか交易とかは行えているということですね。それぐらい国の支配力が今よりも空港とか港とか細かく管理しきれないので、勝手に交流とかもあるので国と国が仲悪くてもそういうことは起こると、時代的にはあるという風に捉えていただいていいです。なので遣唐使は勉強しに行ってるわけですね。なので国と国のやりとり。遣隋使は小野妹子が隋の皇帝に対等な関係を結ぼうと思ってみたいなことやってますけど遣唐使はそういうことやってないので、ほとんど勉強しに行って帰ってくるみたいな、一般の人が留学しにいくぐらいのですね、そんなイメージで行ってるという風に捉えていただいて構いません。日本としてはしっかり勉強してほしいので国の政策として遣唐使として派遣してますが国と国を繋ぐやり取りを繋ぐ人ではないということを覚えといて下さい。
その後ずっと遣唐使は送られていったのですが、菅原道真の意見によって白紙に戻せということで894年に停止されましたということです。始まった頃はですね百済の方を通って行ってたので割と安全な航海ができたんですけど、この朝鮮半島が新羅に統一されると仲が悪いからあんまり通してくれないので結構危ない航路を渡らなきゃいけないということもあって、1894年くらいになると、唐から学ぶことももう無くなってきたねということで、メリットよりデメリットの方が多いからやめちゃいましょうということで菅原道真が言ってやめたということになります。
ではちょっと戻ってカッコ7番ですね。天智天皇が色々やったのですが寿命があるので死んじゃいましたということですね。その後じゃあ誰が天皇になるのかというと天智天皇の子供と弟が争いましたということです。それが壬申の乱ということになります。弟が天野皇子ということで、これが天武天皇という風に名前が変わりますよという風に覚えておいて下さい。天武天皇は色々やった方になりますけども、次の天皇は今度は奥さんだった皇后の持統天皇ですね。女性の天皇になりますと。の時代になりますよということです。持統天皇の時覚えるのは都を作ったということですね。これが藤原京という都ですよということで奈良に作られてますということですね。上京よりはもっと南の方になりますね。だんだん北に上がっていくという風に覚えていただいて大丈夫です。
では次カッコ9番、律令政治ですね。天智天皇の頃から天智・天武・持統ということで色々律令を整えていったのですが、しっかりと完成したのが☆1701年☆大宝律令だと覚えておきましょう。天皇のもとに二官八省が置かれて太政官が中心にいるよというような形でしたということですね。それよりもよく出るのが地方で国郡里という行政区分ですね。都道府県と市町村くらいに思っていただいて大丈夫ですが、そういう風に分けられていて、それぞれ国司・郡司・里長というものがボスとしていたよということです。ただ国司だけ都から派遣された貴族が行くわけですね。郡司はその地方の豪族がなって里長も同じような感じですね。有力な農民ですけども、地方から出身の人が出るということです。
右側行きまして班田収授の法ですね。律令政治になると統治は公知公民の原則で班田収授の法によって定められましたということです。何が何ですかというとこの下のですね、さっき言った口分田を配るとかルールが書いてあるものだと思って下さい。朝廷は6年ごとに戸籍を作るよという風に言ってますと。なんで6年なんですかと言ったら、6歳以上の男子に、6歳以上の人から税金かけていくからということですね。なので戸籍に基づいて6歳以上の男子には2段、女子にはその3分の2の口分田を割与えますよと。口分田は死ぬと国に変換されますよという風にしました。どんな税がかけられていたんですかというとその下ですね。まず粗調庸の3つになります。粗は収穫の3%なのでめちゃくちゃ楽ですということですね。これは女子も負担しますと。江戸時代は4公6民とかで40%もってかれたり5公5民で50%もってかれるので、そう考えると3%って相当楽だよねということです。なんですが、重たかったのですが調と庸ですね。地方の特産物を都に納めるということ。そして庸は都で10日間働く代わりに布を都に納めるということですね。都は10日間働くって考えると楽なんですけど行くまでの旅費なんか出ないわけですから布を納めちゃった方が楽なんですね。なので結局この特産物とか布を納めるのが大変だということです。あとは労役ということで国司のもとで1年に60日以上労働する雑徭、そして兵役として3つですね。それぞれありますが、覚えなきゃいけないのがまず防人ですね。これが1番大変になりますと。なんでかって九州まで行かなきゃいけないし3年間ということですね。この労役とか兵役してる間も結局粗とか調とか庸は納めなきゃいけないので家族が負担しなきゃいけないんですね。なので結構大変だということになります。ほとんどが男子のものばっかりになるので結局この班田収授の法で戸籍を作るときに男子が生まれてるのに女子が生まれたよとかって嘘ついちゃったりとか、もっと進むと産まれてませんって言って誤魔化すようになるわけですね。ということで班田収授の法が成り立たなくなっていったということでした。なんで誤魔化すんだと言ったら苦しいからですね。苦しい様子を唄ったのが貧窮問答歌というものがあって、万葉集に収められていたというのはやったと思いますのでしっかり復習しておきましょう。
149ページ行きまして、地方の特産物ということでありますが、これは細かすぎますので現時点で全部覚える必要はありません。ので何となく見ておいて下さいね。今の時代と変わらないものも確かにあるなと。この時代から作ってたんだななんていうのも分かると思いますのでなんとなく眺めておいていただければ大丈夫です。
27:50〜奈良時代
では奈良時代行きましょう。奈良時代はまず元明天皇が奈良の平城京に都を移したとこから始まりますということですね。
この奈良時代もそうですが飛鳥時代からどこが政治の中心地だったかということで時代の名前になってますということですね。飛鳥は奈良県なんですけどもあの辺一体を飛鳥地方なんていう風にいったりしていたので飛鳥という風な名前ですと。奈良時代になって平城京になって今の奈良県奈良市の所に来たのでこっから奈良という風に言って奈良時代と言ってるということですね。平安時代とかは京都はたびたび政治の中心地になるので平安京の名前を取っていると。室町時代も京都なんですけども京都の室町という所ですね。名前がダブるから使い分けをしてるくらいに思っていただければ大丈夫です。元明天皇が移しましたが奈良時代で覚えなきゃいけないのはほとんど政治の中心だったのが聖武天皇ということですね。聖武天皇は仏教の力で社会を進めようということをやりました。代表的なのは国分寺、国分尼寺を国ごとに作ってた、ということと、都に国分寺のボスとして東大寺を作って大仏を作ったよということが有名でしたね。あとは唐からの高僧ですね。身分の高いと言いますか、力のあるお坊さんを呼んで、ガンジーという人を呼びましたよと。何回も来る間に目が見えなくなっちゃったよとか、っていうことがありましたが、日本に来て唐招提寺を作ってくれましたよということです。上手く行ってたんですが、道鏡さん、聖武天皇がいなくなったんですけども、道鏡っていう悪いお坊さんがいて、政治に口出したり自分が天皇になろうとしたりなんなりしてたのでちょっと仏教を保護しすぎたために仏教の力が強くなっちゃったなというような課題がこの時代出てきたということです。
ではカッコ2。先ほどの班田収授の法を含めた律令政治の部分のところが少し上手くいかなくなってきた時代でもあるということですね。まず口分田が不足して新しい決まりができましたということです。まず負担に耐えかねた農民が口分田を捨てて他の土地に逃げちゃいましたということです。☆また人口にのずお金より☆口分田が不足するようになりましたということです。新しく田んぼありました、作りましたなんていってもそこからまた税金かけられちゃうというか、じゃあもっとできるねとか割り当てちゃったりするので、そもそも自分のじゃないので新しい田んぼ作ろうとする人がいないわけですね。なのでどんどん田んぼが不足していくということになります。なので自分の土地をしっかり守って税金を納めてもらおうということで723年三世一身の法ということで、3世代は自分の土地として担保していいですと、ただ税金は納めろということなんですね。なのであんまり効果はなかったので、聖武天皇の時代に墾田永年私財法ということで開墾した土地を永久に私有地とすることを認めましたということです。
農民がやる気をだすと思ったのですが結局貴族とか寺院とか地方の豪族とかがやるきを出しちゃって農民を使って開墾して自分のだよとやったと。この私有地を荘園と呼ばれるようになりましたということです。この時代の荘園は税金がかかりますから不輸不入権とか出てくるとかからなくなる、払わなくていいのが認められちゃうということですね。結局税金はかかるんですよと、ただ私有地と認められるようになったということです。ただ土地に税金がかかってないですから、いっぱい土地もっててもいいわけですね。人に税金がかかってますから。なので戸籍を誤魔化すということですね。という時代です。右に平城京と和銅開陳というのがありますのでここは読んでおいて下さい。
31:45〜平安時代
続いて平安時代ですね。
仏教の力が強すぎたので仏教と切り離そうというのですが、仏教はお寺があってこその仏教の力になるので東大寺とかみたいなですね、大きいお寺が近くにいると影響を受けちゃうから逃げるというわけではないですけど遠くに行こうということではるばる京都まで来ましたというのが平安京でした。ただ784年に平城京にも移ったんですけどなんか上手くいかなくてあんまりですね縁起が悪いということでさらに北の平安京にいったということですね。これをやったのが桓武天皇でしたということです。では右側、桓武天皇は結構力のあった天皇なので結構いろんなことを断行していくわけですね。
まず国司を厳しく監督しましたということで国司を勝手なことやったりとか、ちゃんと税金を集めてきなさいとのが仕事なのでそれやりやなさいということで厳しく監督しましたということです。あとは坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して朝廷の支配の抵抗をする蝦夷を東北地方に派遣しましたということです。なので大和政権と言いますか、大和政権からくる天皇中心の朝廷に関しては日本全国をおさめていたわけじゃないんですね。ただどんどん領地を広げて税金をいっぱい取りたいということでまだ未開拓だった東北地方には蝦夷と呼ばれていた民族がいたわけですね。これがさっき言った縄文時代からの名残の民族でもあるとされていますと。これをどんどん☆蝦夷勢へと蝦夷勢へと☆ということで東北地方へ派遣して東北地方を支配していったということです。ただ北海道までは行かなかったので北海道の方に蝦夷氏は逃げていったよというような形になります。なのでこの漢字からそのまま蝦夷地なんていう風に呼ばれていたということですね。これは覚えておきましょう。
桓武天皇が政治を頑張っていたのですが、摂関政治ということで今度は天皇の、仏教ではなく、天皇を補佐するような貴族がどんどん力をつけてきたということですね。これが中臣鎌足の時代からずっと続いてる藤原氏ということですね。結局蘇我氏と同じようになってるわけですね。藤原氏は天皇の力を使って自分たちの権力を強めていったということです。なので娘を天皇の妃にして天皇と親戚関係になるということですね。天皇をおさえる時は摂政、政治をした後に関白という新しい役割も作って政力を握っていったということです。これを名付けて摂関政治と言いますということですね。1番力をつけたのが藤原道長の頃、そしてその子供頼道のこの二代の頃が最盛期だということです。藤原氏はどうやって力をつけたんですかというと朝廷から支給される収入、ようは摂政関白みたいな感じで一族をどんどん色んな高位高官につけるわけですね。でそこからのお給料と多くの荘園を持っていたのでそこから収入を得るということですね。藤原氏が栄えていったということです。あとは菅原道真みたいな強い力を持っている貴族をどんどん倒していったということですね。殺したわけじゃないかもしれないけど政治の中心から退けていったということでこの3つをやりましたということです。
右側に藤原氏の家系図がのってるので見て下さい。鎌足のあとに不比等さんというこの人も力があったわけですね。ずっと行って良房・基常に色がついてますがこの人は中学入試に出てこないのでそこまで覚えなくてもいいですが、初めて摂政になった人初めて関白になった人ということで良房・基常と出てきますので見ておきましょう。道長ですね、関白やってないんですね実は。ということも何となく知っておきましょう。道永には女の子供がいっぱいいまして彰子が一条天皇の妃という形になります。この人は文化のとこでも出てきますね、枕草子の清少納言が彰子の家庭教師でした。あ嘘ですね。道長のお兄さんの娘についていたのが清少納言です。彰子は紫式部ですね。源氏物語とか書いた紫式部が家庭教師でしたということです。失礼しました。こういった家庭教師をつけて、家庭教師って何か、和歌とかを教えるということです。この時代のモテるモテないが和歌が上手かどうかが重要なので自分の娘に文化人をつけて和歌とかそういうのを教えて教養をつけて天皇に気に入られて結婚させるというのが重要だということで力のある人をつけていったということです。とういうことでこれは見ておいて下さい。
では3番、この時代になると武士が出てくるようになりますよということです。これは貴族とか天皇もそうですが、結構戦いがあるので警備をさせたりとかそういう人が必要になってきて、軍隊ですよね言ってしまえば。軍隊を揃えるようになっていったということです。まだ藤原氏の時代ですが平将門の乱、藤原純友の乱というものが起こりましてこれは結局反乱を鎮めたのが武士だったわけですね。ということで武士がどんどん力をつけていくきっかけがこの時代から始まりましたということです。ただ藤原氏はその外戚関係がなかなか結べなくなってきたということで力が衰えていきますと。この頃に出てくると天皇が力を取り戻すんですが、天皇ではなく上皇という形で引退した後も政治を行なっていくという人たちが出てきましたということですね。なのでこれがまずは白河上皇が始めた院政というのがこの時代になってきますということです。
ではカッコ6番ですね。上皇が政治をしていると天皇は面白くないよというふうになってでてくるのが上皇と天皇の戦いになるということですね。これが保元の乱が起こります。この頃に上皇天皇で、ようは皇族ですね、が二つに分かれました。で藤原氏も2つに分かれました。そしてその頃に力を持っていた源氏と平氏という武士団も2つに分かれましたという形です。この勝った方の天皇方についてたのが平清盛と源義朝さんになりましたということです。勝った方で良かったのですがこの後どっちがさらに武士の中で力を持ちますかみたいな形になって結局は平清盛が勝ちましたということですね。それが平治の乱ということになります。結局上皇はいるんですけどもだんだん武力を持っていることもあって平氏の発言権が強くなるわけですね。なので結局平氏は武士として最初の太政大臣ということで藤原氏と同じですね、高位高官につくようになったり藤原氏と同じように娘を天皇の妃にしてということで結局は貴族と同じようなことをしたということですね。平氏が力をつけていきましたということです。
平清盛のやったこととしてはあと覚えなきゃいけないのは貿易ですね。これが日宋貿易という貿易。宗と貿易を始めましたということです。大輪田泊という現在の神戸の港の一部を整備した、もともとあったんですが整備してやりましたということですね。その航路、航海の安全を願って厳島神社をさらに豪華なものにしたり熱く信仰をしてったんだよということでした。宗銭がこの時の輸入品としては特に有名でしたということですね。なんで宗のお金を持ってくるんですかというと、日本のお金だと信用がないわけですね。なので誰も使わないということになります。なので宗のお金だったら流通するということで宗銭を輸入して日本の中で使っていたんだよということになります。お金って信用がないと使えないということは前々回くらいですかね、経済の時にやったと思いますのでそれと同じことが働いてるわけですね。ということで平氏が力をつけたんですが、結局貴族と同じようなことをやってたので、天皇の外戚関係とかがないと上手く行かないこととかもでてくるわけですね。そんな中源頼朝が1180年に挙兵して初めは力があったんですけどもその平氏のやり方ですね、結局藤原氏と似たような感じなので、武士が蔑ろにされてるとか色んな不満が出てくるわけですね、武士の中からも。これは良くないよねということで源氏をリーダーとして平氏打倒の挙兵がありましたということです。結局は1185年の壇ノ浦の戦いで、この時は頼朝は出陣してないんですけども弟の源義経を中心に戦いまして平氏を滅ぼしましたということになります。戦い色々のってますがまずは壇ノ浦をしっかり覚えておくということが重要になりますので、さっきの遺跡の地図よりは重要度は低いですね。ということで見ておいて下さい。
41:00〜鎌倉時代
源頼朝は平氏と同じやり方ではなく違うやり方ですね。天皇の力を借りなくても、天皇と親戚関係を結ばずに武士を中心とした政治を始めようということで幕府を開きましたということです。幕府は、もともと幕府って何だっていうとですね、征夷大将軍に任じられた人がそこで政治の中心で行なっていくのが幕府という風に言いますが、幕府って建物があるかないかっていうと別にあるわけじゃないんですね。そういう政治の機能だと思っていただければと思います。なので鎌倉時代の成立は1192年か、それとも支配力を強めた1185年かなんていうのはどっちなんですかと今も議論されてることなのでどっちか分からないですが入試においては一旦1192年という風に覚えてもらっておいていただいて構いません。守護地頭をおいたのが1185年だということ。ここからが頼朝の各地への支配権が強くなったという風に覚えておいて下さい。
守護と地頭はそれぞれの仕事をちゃんと読みましょう。守護は国ごとには置かれて御家人の取り締まりとか軍事、警備の仕事をしたということですね。地頭は荘園ごとにおかれて土地管理ですが、主に年貢の取り立てを行なったということになります。基本的にはあなたの荘園だよと言われたら、あなたが割与えられた荘園はあなたが支配して下さいということなのでそこから税金をとるということですね。これが収入になるということになります。武士にとってね。自分が渡された領地から自分で税を取るということが大切なんだよということです。封建制度がその形になっております。頼朝は家来である御家人の領地を認めて保護するとともに手柄に応じて新しい領地を与えていきました。あなた管理していいよというところを渡していったんですね。これを渡すことを御恩といいます。領地を渡されるんですが支配権があるイコールそこから年貢を取りたてられるということになるのでそういった形で報酬がもらえるということですね。報酬を与える代わりにがんばってね、頑張って下さいねということが奉公ですね。幕府のために頑張ってねということです。それがほとんど警備とか戦いがおこれば軍としてちゃんと機能して下さいということになります。この領地を中心とした主従関係を封建制度といいますよと。これは江戸時代までずっと続いていきますということですね。江戸時代も結局は江戸幕府があなたの藩をここですよと決めるわけで、その藩の中は好きに年貢を取るなりなんなりしていいですよとその代わり幕府の言うことはしたがって下さいねという関係ですね。その藩の中とかでもお殿様からこの中のここはあなたにあげるからあなたがここでしっかりと年貢とかとって管理してねということですね。その代わり藩の命令には従いなさいということになってます。これはずっと続いていくということです。天皇を中心とした政治を中央集権といいますが、武士のやり方は封建制度と言いますが、究極の地方分権ですね。地方のこととかそれぞれのことはそれぞれにまかせるよと、結構対極なやり方になるよという風に覚えておいて下さい。鎌倉時代は執権が結局は実権を握っていく形になるので鎌倉幕府の仕組み、形の部分は見ておきましょう。将軍の下に執権があるので将軍がいなくなったら執権が1番権力が強いという構図になってますよということですね。幕府の中央にある機能としては政所・問注所・侍所ということでそれぞれ政治・裁判・軍事を司ってるという機能がありますと。地方は守護地頭が先ほど説明したとおりですね。あと京都には承久の乱以降ですが六波羅探題ということで京都は朝廷を見張らなきゃいけないということがあるのと、西側ですね、の影響力が鎌倉だと遠いので西側を管轄する機能としても仕事ななっていたという風に覚えておきましょう。
カッコ3番、承久の乱ですね。源氏は結局3代で途絶えてしまいましたということでした。下に図がありますので1.2.3代覚えておきましょう。頼朝・頼家・実朝の3人ですね。結局くぎょう、こうぎょう、どっちでもいいですけども、公暁さんに実朝さんが殺されて源氏は途絶えたという形になります。なので鎌倉幕府は将軍というより執権をしっかり覚えて下さい。時政、義時、泰時、時頼、時宗、高時というふうにありますが入試においては1代と3代と8代がキーマンになりますからこれは室町もそうですし江戸もそうですね。そっちは将軍ですけども1.3.8は必ず覚えていきましょう。そして1代が作り、1代と2代が作るような感じですけども1代と2代が幕府を作って3代がさらにそれを強めるということですね。8代は幕府が潰れるきっかけになるような出来事が起きちゃう時代でしたというのが対比で覚えておきましょう。
まず承久の乱ですね。後鳥羽上皇、まだ上皇もいますと。が政治を朝廷に取り戻そうとその時は時政はもう引退してたので義時を打てということでしましたが結局返り討ちになったよということです。上皇は沖に流されちゃいましたと言うことですね。島流しになったということです。幕府は六波羅探題をここにおきましたということです。守護地頭をおいて1185年から支配力を強めてたんですけども結局は西側の、鎌倉幕府ができた瞬間にじゃあ全国ちゃんと影響力もっておさめられてたんですかというと実はそうではないんですね。だからこの承久の乱で西側を中心とした朝廷を倒したということもあって全部幕府のいうことに従いなさいというのが広まったというかたちになります。
執権の政治ということですね。カッコ4番です。3代の時に御成敗式目ですね、北条泰時の時に御成敗式目を制定しましたということで、武士が初めて法律を作ったということで有名になります。武士が作った法令なので武士の世の中に適してるわけですね。なのでこの後の時代の分国法ですね。それぞれの戦国時代で作る法律とかの、これがお手本になっていったよということになります。
カッコ5番いきまして、元寇ですね。これが潰れるきっかけになっちゃう、残念ですが8代の時宗のときに起きましたということです。元という国ですが、モンゴル帝国なんですね実態は。モンゴル帝国が中国に進出して中国も支配下においたので中国のところの部分を元と呼ぶようになったということになります。そのモンゴルの皇帝がフビライ=ハンでしたということですね。フビライ=ハンは3代ですね。初めは朝鮮を倒して日本も従いなさいと言っていったんですけどもこれを拒否したということですね。なので怒って2回にわたって攻撃をしてきたということです。1回目が文永の役、公安の役ですね。これは朝鮮出兵の時もなんとかの役という形で混合しやすいのでしっかりと区別しておきましょう。そっちは文禄・慶長の役ですね。元寇は文永・公安になりますと、いうことなのでしっかりと区別をつけておきましょう。公安の安が平安の安と近くて一個前の時代と似てるからとかですね、そういう覚え方でもいいので、そういうこじつけでしっかり覚えておくわけですね。朝鮮出兵は文禄だったので、文禄で元禄が江戸時代に近いからそれと似たような感じかなとか、そういう区別の仕方でいいので、とにかく間違えなきゃいいっちゃいいので語呂合わせとかもそうですし、こじつけで間違えないように覚えきるというのが大切になります。この元寇に関しては向こうの戦い方と日本の戦い方が違うということですね。日本は名乗って1ヶ月で戦うみたいなのがこの時代多かったんですけど、元は集団戦法でいきなり襲いかかってくるみたいな戦い方ですね。これが逆に大陸は主流になるわけですね。ということでやったりあとはてつはうなんていう火薬を作った、殺傷能力は低かったとされてますね。大きい爆発音みたいな感じで爆竹みたいなばんっとなるわけですね。馬に乗ってるわけなので馬がびっくりしちゃってひっくり返っちゃうみたいなことですね。というのがあったということです。ただ暴風雨とか色々な助けがあって勝ちましたということです。右側に蒙古襲来絵詞が載っていて竹崎季長さんがあるよということです。書いてありますね。
1回目は平地で戦ってますが2回目は石垣のところですね。石垣を作って、こういう対策をして戦ってたということでこの差が②の方が後半だとわかるわけですね。なんでこんなのを作ったかというと結局頑張って戦って活躍したんだよというアピールが必要だったということなので、こういうこを自分で作って幕府とかにアピールしたということです。なんでこんなことしたんですかというと、結局元軍を追い返したんですけど、新しい土地が元から奪えたわけじゃないので結局御家人に恩賞が与えられなかったんですね。この戦争に行きますよって時に基本的には自分で支度して自分で出てこなきゃいけないっていうのがこの時代の軍隊になるので、勝てばその分新しい領地をもらって恩賞でよかったねってなるんですが、勝ったはずなのに結局領地をもらえなくて新しいのもらえないじゃんていうことで不満になるよということですね。お金がないから借金をして出陣する人たちもいたんですが、それも返せなくて困っちゃうとなってたので、徳政令というのを出して御家人を救おうとしてたんですけどこんなことしてたら幕府の信用と言いますか、武士への信頼がなくなるので効果はなくて、幕府の信用が失われていったということですね。なので結局8代の元寇は直積的な幕府が潰れたことではないんですけども、きっかけを作っていっちゃったということですね。結局その後色々立て直そうとしたんですが、立て直しきれずに、後醍醐天皇が朝廷に政治を取り戻そうということで、何名か有力な御家人を味方につけたわけですね。その1人が足利尊氏、そして新田義貞さんでしたということです。で京都の六波羅探題そして鎌倉幕府をそれぞれ出兵して滅ぼしたということですね。1333年鎌倉時代は、鎌倉幕府は滅亡して終わりましたということです。
かなり長くずらーっときた形になりますが、もう一回整理してそれぞれの時の権力者は誰なのかということですね。ちょっとよく分かってないなと思ったら5年生の時のラジオを聴いて再度復習してください。
最後154ページですね。中国との関係ということで書いてありますが、結構さっき話したようなことだと思うのでここはしっかりと見ておいて下さい。日宋貿易の輸出品・輸入品のとこですね。に関しては触れてなかったのでまたここのところはしっかりとチェックしておくようにしましょう。
155ページのこの表がしっかりとまとまっているのでこれをコピーしていつも通りトイレに貼って何回も何回も見て覚えるということですね。が大切ですからこういったところの復習も併せてするようにしてください。
ということでずいぶん長かったんですけどもしっかりと復習をしておきましょう。
今日はここで終了にします。ありがとうございました。
▼音声データ
【参考文献】四谷大塚発行 予習シリーズ6年上
【著者】鈴木 俊(すずき しゅん)







