top of page

社会ラジオの実況中継 6上第16回 政治外交史2

  • 執筆者の写真: Shun
    Shun
  • 2024年6月13日
  • 読了時間: 40分

ページ最下部に音声URLもご用意しております!耳で聞いて、目で追って、整理していくのが最も効果的です!それでは本文をどうぞ!


00:00〜冒頭部分

みなさんこんにちは、シュンです。では第16回政治外交史2室町時代から江戸時代までいきましょう。

今日も結構長いですね。ただ文化とかがないので本当に主軸のストーリーを追いかけていくような形になるから、ここで抜け漏れがあると困っちゃうと。また夏休みにも復習しますが政治史外交史に関しては基本の流れになるのでこの16回でしっかり覚えて夏休みはどっちかというと文化史とか社会史とか、そういう細々したことを肉付けしていくようなイメージで勉強していただければなと思います。


00:45〜室町時代

ということでまずは室町時代ですね。行きましょう。158ページ開いてください。室町時代は京都の室町という場所に幕府の建物ができたので室地時代ですということです。なので政治の中心地が京都に戻るということです。ずっと平安京で京都が中心だったのですが鎌倉時代に鎌倉に行き、また京都に戻ってきたという形になります。

初めは天皇が自ら政治をしたという建武の新政ですね。ただこれは鎌倉時代のやり方を平安時代に戻したようなやり方だったので結局鎌倉幕府を倒したのは後醍醐天皇が中心ではあったんですけども、新田さんだとか足利さんだとか武士が活躍していたので、その人たちの不満が高まって足利尊氏が先頭になってこの後醍醐天皇を京都から追い出したという形になりますよということですね。

カッコ2になりますが南北朝の内乱ということでこの時に天皇が日本の中に2人いるという状況が作られましたということです。北朝は京都で足利尊氏が天皇を補佐する形でいるということで、後醍醐天皇は吉野、奈良県ですね、に逃げてったということです。吉野は平安京よりももっと南の山の方という風に覚えておいていただければ大丈夫ですと。これが60年も続きましたという風に覚えておいてください。

室町幕府はその後醍醐天皇を追い出して北朝と南朝と南北朝二つに別れてる時の北朝の天皇から尊氏が征夷大将軍に命じられて幕府を開いたという形になります。幕府は将軍がいて鎌倉時代は執権でしたがここの執権のところに管領という新しい役割が置かれましたということですね。管領とか侍所の長官、侍所は軍事を司るということになるので、力のある人がくるわけですね。有力な守護大名が任命されたということでした。

鎌倉幕府の仕組みと違って室町幕府は管領の位置がちょっと違うところがありますね。執権は、将軍がいて執権がいて、執権から全部に命令が出せるような図になってると思いますがそれだと鎌倉時代は執権が力が強くなり過ぎてしまったという反省があって管領は幕府の機能のところだけを司るという形ですね。地方のところに関しては将軍から直轄で指示をだすという形になっています。あとは六波羅探題が鎌倉時代はありましたが京都が中心になってきたので今度は逆ということで鎌倉の見張りに鎌倉府という役割を、機能をおいたということですね。あと大きく違うのは守護地頭のところですね。守護地頭が鎌倉時代は横並びでしたが室町時代は縦に並んでいます。つまりは守護の配下に地頭が入ったという形になります。四角に書いてあるところですね。もともと地頭はみんな地頭になるわけですね有力な御家人は。地頭になってその領地をもらって、その領地を支配していくということですね。なので地頭は荘園ごとに置かれたんですが、だいたい逆でここをおさめていいよってなって地頭になるわけですね。そうするとそこにある荘園を担当していくという形になります。守護はなんだったんですかというと警察機能なので、それとは別にこの国一体を守る人という役割だったんですね。ただ室町時代になるとこの守護が一個上になって、守護の下に地頭がつくと。つまりはその国の元締めになる有力な御家人がいてその下に地頭という形で小さい武士たちが入っていくという形になったということですね。なので守護の力がそういった意味でどんどん強くなるので守護大名と呼ばれるようになったということになります。なので基本的には将軍がいて武士という並びだったところに将軍がいて守護大名がいて武士というふうに階層がより強くなったという風に覚えていただければいいなと思います。

ではカッコ4番、室町幕府の全盛期は3代の義満ですね。いつも言うように3代の時は全盛期で幕府の力が強まる時期ですと。あとは幕府が長く存続するための色んな取り組みが始まるところでしたということですね。

まず義満は花の御所ということで、ここで室町に屋敷を作って幕府の機能をやったことが一つ、いざ国は一つということで南北朝を合一したことを一つ、そして倭寇を取り締まると言うことから日明貿易、勘合貿易をやったという、この大きく3つですね。あと書いてないんですけども力の強い守護大名をどんどん滅亡させていって幕府に反乱を起こすような不安要素を取り除いていったと言うこともやったので大きく分けて4つやったんだということですね。これで室町幕府は盤石になったと言う形になります。

ちょっと勘合貿易のところ、詳しくと言いますか、輸出品目ですね。ここに関してはもう一回確認していきましょう。日本からの輸出品は刀剣、銅、硫黄ですね。そして日本への輸入品としては銅銭ですと。なんで銅銭を輸入するんですかというと、中国のお金はみんな使うんですね。中国はすごい信用があると言う形になります。結局お金って今までも経済のとこでありましたけども信用がないと今もそうですが、ただの紙ぺらですから。お金の価値があるとみんながちゃんと信用して成り立っていくものなんですね。なんですが、まだまだ日本という国に力がない、信用がなかったので、中国のお金だったらいいよということで、それを貨幣として使っていったと、そんな流れだと思っていただければと思います。このところから堺とか博多が貿易港として栄えていったということですね。これはそのうち一つの都市として独立と言いますか力をつけていくようなことにもなると。やっぱり貿易は儲かるということですね。ここも歴史のキーワードなのでしっかりおさえておいてください。

カッコ6番。8代の時は必ず嫌なことが起きるんですね。それが応仁の乱でしたということです。足利義政の後継争いから将軍家も別れて、有力な守護大名も別れてということで、京都で戦いをして京都が焼け野原になっちゃったんだよということでした。この時に貴族とかですねお坊さんが京都から逃げていったと。避難したわけですね。その人たちが各地に広がってったので京都の文化というのが日本全国に広がってったという、良いこともあったんだよという風に覚えておきましょう。

ということでこの応仁の乱から幕府の支配力はすっかりおとろえて、幕府の権威はあるんですね。もともと血筋みたいなのを大切にする日本は民族ですから、将軍家はすごいと、いうことですね。足利も元を辿れば源氏になるので、そういった血筋の、由緒正しい正当な将軍家の血筋、みたいなのはすごいので、幕府の力が、支配権はないんですけども、幕府の将軍はすごいという権威はあるという風に覚えておいて下さい。それが後ほど信長が使って日本を統一しようとしたということで後ほど触れようと思います。


9:00〜戦国時代

ということで戦国時代に入りました。159ページですね。戦国時代になると守護大名がもともと守護大名という名前が戦国大名という名前になるという風に覚えておいて下さい。そのまま守護大名が戦国大名になるパターンもありますし、守護大名の家来が自分のボスを、自分の支えている殿様を倒して自分が戦国大名になるという色んななり方があるということですね。その家来が主君を倒すということを下剋上という風に言いましたということですね。この時代、力があれば成り上がるチャンスがあるという風に言われて出てきた人もいましたよと。秀吉なんかはそうですね。身分の低いところから日本のトップまでいったわけですということです。

一つ一つの戦国大名は国を作るようになりますのでその中で法律が必要だねということで出てきたのが分国法という、その地域ですね、ようは都道府県くらいの単位になりますから、に有効な取り決めの法律みたいなのができましたということです。これは武士が作った法律で、お手本にはなったのが鎌倉時代の三代執権の北条泰時が作りました御成敗式目でしたね。というのは何度も出てきてるのでしっかりと見ておいて下さい。

戦国時代になりますと中国以外にヨーロッパの国々が来るようになりましたということですね。ここで覚えなきゃいけないことが2つありました。一つは鉄砲伝来とキリスト教の伝来です。まず何年なのか1543年と1549年、6年しか違いませんね。以後よく伝わるキリスト教とか、いいご予算鉄砲伝来とか語呂合わせは好きに色々使ってください。覚えなきゃいけないのはいつ、どこに、誰が、何を持ってきたかですね。なのでまず鉄砲は1543年種子島にポルトガル人が鉄砲を持ってきましたよということです。キリスト教は1549年に鹿児島にスペイン人のフランシスコ=ザビエルがキリスト教を伝えましたという、ここの比較をしながらセットで覚えるようにして下さい。

まずキリスト教ですね。宗教が伝わったということもありますが結局ヨーロッパ人がきて貿易をするのでここと組むと儲かるわけですね。儲かると国が強くなるということです。お金があるので軍備を整えて隣の国を倒せるというような形になるわけですからね。

鉄砲はなんですかというと敵を倒すということは武器が必要ですよということですね。日本刀も強いんですけども、とはいえ近くまで行かないと役に立たないわけですね。なんですが鉄砲は遠くから打てるということで、これはすごい軍事力に差が出るわけですよということですね。なのでこの鉄砲を揃えられるかどうかというような、今までは腕っぷしでなんとか頑張ってたところとか人数を集めた方が勝つみたいなそういう戦争のやり方だったんですけどもこういったお金を持って武器を揃えて最近の戦い方をするというのもこの時代に広がってきた戦いになります。

南蛮貿易に関しては日本の輸出品のところですね。硫黄とか陶芸品はなんとなく想像できるのですが、銀が入ってくるということです。この時代日本は金とか銀とかいっぱい取れたんですね。銀をどんどん輸出した。輸出したというよりは銀を欲しがったので外国から持ってきたものを銀を代わりに対価として渡して、これで色々やりとりしてたんだよということですね。日本の輸入品はもちろん鉄砲とか火薬、あとは中国の生糸とか絹織物ですね。これは勝手なんですが、大名の自分の着物であったりとか自分の家族に着せたりとかですね、褒美としてあげたりということで権威を示すためにこういう良いものを取り寄せてったということになります。ということで日本地図に色々戦国大名乗っておりますけども、そんな入試には出ませんのでなんとなくこんなとこに上杉がいるんだな、武田がいたんだな、伊達がいたんだな、くらいに思っておいていただければと思います。

159ページの最後ですね。戦国時代はそんな感じで戦いに明け暮れていてそれに終止符を打つ勢力が出てきましたということです。それが織田信長と豊臣秀吉ですと。この2人の政治とかやり方とか、この2人が中心になっていた、本当短い期間ですけども時代を安土桃山時代といいますとということです。戦国時代ともかぶってて境目はちょっとわかんないわけですね。

まず織田信長は尾張の小さな大名としてスタートしましたよということです。もともと織田家という家はあったわけです。どんどん色んな策を講じて敵を倒していって強くなっていったということです。やったことは5つ、事件も含めて5つ覚えておきましょう。

まず1つは桶狭間の戦いで今川義元を破ったよということです。これは地図見ていただけるとわかると思いますけども、織田と今川の勢力の違いですね。今川のほうが大きかったんですが、人数も多いというところを桶狭間という地形を使って今川義元を破りましたというような戦いです。これで織田信長一気に名前が売れたわけですね。信長は何をしましたかというと初め自分で全国統一するのは難しいのかなと考えて足利義昭の15代将軍を担ぎ上げて執権みたいなポジションを狙って、義昭の名前を使って自分のやりたいことをやろうとしたんですね。ただ義昭が言うことを聞かなくなってきたので義昭を追放したんですよということです。これで幕府が滅んだと言う形になって、室町幕府は信長によって滅ぼされたと言う形になります。そのあとは粛々と自分が統一することを考えて色々戦いを仕掛けていったんだよということです。さっき出た鉄砲を使った戦いが長篠の戦いになります。これは徳川家康と組んで騎馬隊を率いる武田勝頼の軍を破りましたと言うことで絵がありますね。織田、徳川軍は鉄砲を使って、どんどん武田は最強の軍隊、騎馬隊と言われていたんですけども、馬で走ってくるわけなので鉄砲で狙われてまくっちゃうわけです。で結局負けちゃったよということになります。なので近代的な戦い方が始まったと言うことですね。あと安土城という城を作りました。これは琵琶湖の辺りにありますということです。あと最後は本能寺の変で明智光秀に破られましたというこの一連の流れは見ておいて下さい。さくっとみましたがこれ20年くらいあるわけですね。結構長い期間信長も活躍してたということになります。桶狭間が1560年ですからね。

織田信長は経済に結構力を入れていた人ということです。楽市楽座ということで、座という同業者組合とか、市場にはいるのに税金をとるみたいな慣習があったんですね。一部の人たちが儲かるような仕組みがあったんですけど、それをやると結局一部の人しかお金がもらえないのでみんな来なくなっちゃうんですね。そうするとそこの人たちはいいんですけど、国全体も見ると儲からないのでこれをやめろということで、市場で税を免除しますということと座の特権を廃止ということで自由にできるようになりましたということです。同じように関所もやめたということです。人の往来を激しくして、結局人が来てお金を使うから経済が回るということですから、このメカニズムがちゃんと理解してたということですね。

では③仏教戦力の弾圧ということで、仏教はもともと荘園もお寺を持ってたりするので力があるわけですね。なので延暦寺の焼き討ちとか、結構民衆を集めて一向一揆とかやっちゃうのでこういったのを弾圧してきちんと自分の支配下に置いていったということになります。それもあってキリスト教を強く信仰していたということもありますし、貿易としても使えると言うことでキリスト教を熱心に保護していたよというようなのが織田信長になります。

信長が本能寺の変で死んだ後にすぐに秀吉になったんですかというとその後に明智光秀を倒したりとか他の信長の家臣を倒して、秀吉が天下といいますか、それを継いでいくものもして自分で実権をとりましたということですね。徳川家康とも戦ったんですが、和平を、話し合いで結局は集結して秀吉の家来といいますか、秀吉に従うという形で家康は入ったと言う形になります。

秀吉はどうやったんですかというと、幕府を開くわけではなく朝廷の権威を借りて戦国大名をおさえ全国を統一しましたということですね。自分は関白になったりと言う形ですと。太閤というのはそういったところから名前が来てますよということですね。なので平清盛に近い形の政治の仕方をしたということですね。政治の内容は違うんですけども朝廷の役職について自分に箔をつけてったということになります。

やったことは大きく3つですね。まず全国統一をしましたよということで、最後に倒したのが1590年の小田原の北条氏になります。この北条氏は執権の北条氏とは全然関係のない北条氏になりますがこの北条氏も関東で北条という名前はやっぱり名が通るので、何か縁をつけて自分も北条を名乗るようになったので血筋としては正式に繋がってるかどうかは分からないと言いますか、正式に繋がってることは確認できないということです。なんですが、北条氏がいてそれを滅ぼしましたということです。

あとは大阪城を作ったことも有名になります。大阪城はもともと石山本願寺というお寺だったんですね。ここを本願寺は一向一揆だったのでここを倒してお寺なんですけども掘りとかしっかり作られてたのでそこを直して大阪城にして守りの強いといいますか軍事力の高いお城を作ったということが有名になります。

では続いて秀吉がやったこと2つ目が太閤検地ですね。太閤というのは関白だった人が後々呼ばれる名称になります。その人がやった検地ということで太閤検地ということです。これで結局何をしたんですかというと、きちんとどれくらいお米がとれるのかという石高で表すようになったんですけども、それまではですね尺が違ったわけですね。ここの一致、例えば1石とか2石とかある大きさが違うわけですと。升が違うわけですね。お米を入れる箱の。それが基準がわかんないとどこがどれだけお米が取れるか分からんということが困っちゃうということですね。確実に年貢を計算してとれるというようなことをやらなきゃいけないので、ちゃんと測量をして同一の基準でどれくらい取れるのか分かってということをきちんとやりましたということです。これで測って農民に君ここを耕していいよという風にどんどん権限を与えたわけですね。これによって無くなったのが荘園になりますと。自分のものですよって言ってたのがいや違うからって言って秀吉たちが検地してここはあなたが耕しなさいっていうことでやってったよということになります。耕す権利はもらったんですけどもそこはあなたががんばりなさいよと言われる代わりに税金を納めなさいよということで税金を納める義務というのが発生したということになります。

もう一つは刀狩ですね。これは一揆を防ぐために刀を取り上げたというんですが、どちらかというと兵農分離ということできちんと身分を分けさせたということですね。それまで戦いに行きますよって言ったら農民を集めて武器を配って戦いにいくっていうのが当たり前だったんですけども全国統一したのでそういう戦いもないということと、農業に専念しなきゃいけないということと、武器を持ってたら一揆をやったりとか、そういうこともあるということと、武士をきちんと特権階級にして支配者層にしていかなきゃいけないということもあってこれをやりましたということになります。なので秀吉は税金を取る形をちゃんと作ったこと、そしてその後の身分制度を作り上げたということでこの2つは非常に江戸時代の土台になるようなことをやっていたんだよという風に覚えていて下さい。

ただ最後はよく分かんないことをやりますよというのが民を征服しようと考えてですね、2回にわたって朝鮮出兵をしましたということです。それが文禄の役・慶長の役ということですね。ただ途中で秀吉が死んじゃったので日本軍は引き上げましたということですね。秀吉が死んで引き上げたくらいですからみんな乗り気じゃなかったわけですね。これで豊臣家は大丈夫ですか、というのが出てきたよということになります。


23:00〜江戸時代

秀吉が死んだ後その後どうするかということでそのまま子供に次いでもらいたかったんですが秀吉は、それは叶わず出てきたのが徳川家康になりますよということです。それが関ヶ原の戦いでしたということですね。その時の秀吉の子供の秀頼は小さかったのでその時は石田三成さんという秀吉の側近の人が代わりにボスとして戦ったという形になります。なのですが負けちゃって徳川家康が勝ちました。なので徳川家康が幕府をつくったわけですね。1603年に征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開いたという形になります。色々幕府を整備していったのですが秀吉の子供は生きてるのでこういう人を担ぎ上げたりですね、自ら奮起して反乱を起こすということはずっと家康は恐れていたわけですね。なので1615年に大阪の陣で豊臣氏を滅ぼしましたということです。これは冬の陣と夏の陣という形で先が冬で後が夏という形で2回に渡って大阪城を攻めて、自害に追い込んだという形になりますよということです。これで安心したのか1616年に家康は死んでしまいますよという形です。その頃には2代将軍になってますよと。家康は早々とですね、征夷大将軍になってすぐ辞めちゃうわけですね。子供の秀忠にすぐ譲りますよということです。ということで家康が死んでもその後の幕府はちゃんと永らえていくような形になっていますということです。

ではまず幕府の仕組みを見ていきましょう。鎌倉時代、室町時代とは全然違う形になりますのでまた新しいものとして覚えてください。まず将軍がいて大老という臨時に置かれる将軍の次に権限を持ってる人がいるんですが、権限が強すぎるので臨時の時しか出てきませんということですね。なので基本的には幕府のことは老中という人がやりますよということです。老中の下に大目付、町奉行、勘定奉行とか色々ついてくるよということですが、これそんなにですね室町とか鎌倉ほど出てこないのでここは余裕がある人はしっかり覚えるくらいで大丈夫です。老中までは覚えてください。あとは若年寄、寺社奉行とかが結局老中の下には入ってないような形になるんですね。老中の力が強くなっちゃうので。あと覚えなきゃいけないのは京都所司代ですね。朝廷の監視をしているところを作りましたと。今度はまた江戸に来たので京都とか大阪の方を見張らなきゃいけないよということで作ったという形ですね。これは対になるような形で関東と関西にどっちに幕府があるかでもう一個の機能がどこに置かれるかっていうのは決まってるということになります。大坂城代もですが、京都所司代の方がよく出ますのでよく名前を覚えておいてください。

あと大名を種類に分けたということも一つ特徴的でした。まず親藩が徳川氏の一族ですね。徳川氏の一族だけでいっぱい増えてくるのでこれも大名に扱われるという形ですね。次に徳川氏ではない仲の良いというか、昔から徳川氏の家臣だった人たちが譜代大名という形の名前になりますと。関ヶ原の頃から徳川氏に従った大名つまりあまり信用してないということですね。を外様大名という形で3種類に分けましたというということです。外様大名は反乱してくると怖いということもあって江戸から遠いところに配置されたんだという風に覚えておいてください。

ちなみにですけどもちょっと戻ります。徳川家康は三河の出身で愛知県の大名だったんですね。なんで江戸に幕府を開いたかというと、秀吉が大阪城にいるときに愛知だと近すぎるから江戸にいきなさいと命令されて実は江戸に行ってるんですね。ということは知っておいて下さい。江戸城を作り始めてたのでそっちを本拠地にしたということになります。あと関東平野が広かったのでここに町が広がるっていうことも、そこまで考えてたから分かりませんが結果的にそういうこともあって良かったよということになります。

戻りまして、大名の監視をしていくにあたって武家諸法度という法律だと思って下さい、を作りました。武士全員を取り締まるものではなく大名に対して出しているものだと整理をつけてください。大名の下の家臣に関しては江戸幕府からは特に言わないんですね。大名に対して何か命令を出してくるという形になります。武家諸法度は大名が変わるごとに誰々の武家諸法度、誰々の武家諸法度という風に出していったという形なので、1番初めは2代将軍の秀忠の時に始まったよというふうに覚えておいてください。調停には先ほどの京都所司代をおいたのと、禁中並公家諸法度という同じように朝廷を取り締まる、禁中が朝廷ですね。公家に関して、貴族に関しても同じように諸法度を出しましたという風に覚えておきましょう。あとは百姓の統制に関しては幕府や大名の収入はほとんどが百姓がおさめる年貢ですね、お米でしたということです。年貢をちゃんと確保するために5人組ということですね。連帯責任を負わせるわけですね。逃げないようにさせるとか、悪いことをさせないようにするということとか、自分で田んぼを打って逃げちゃう人がいるのでこれは打っちゃダメだよと、田畑禁止とかっていうことをやりましたということです。どれだけお米をやるのかというと、収穫高の4割から5割ですね。ほぼ半分をおさめているような形になります。

次貿易ですね。次のページ行ってください。162ページです。家康は貿易に力を入れて朱印船貿易というのをやりましたと。海外渡航の許可証を与えた人だけが貿易をできるということですね。これなんでこういうことをしたかというと貿易は儲かるので勝手にやっちゃうと、みんな儲かっちゃうと困ると、幕府がこれを独占するということも含めて朱印状というのを渡してその人たちだけにやらせたということです。大名にも一部許可を渡してますということです。外交の相談役としてウィリアム・アダムズさんですね。ヤン・ヨーステンさんとかっていう人がいましたよというのが右にあるのでこれは見ておいてください。

この時代は結局オランダがいっぱいくるよっていうのは有名だと思うんですがイギリスはどうしちゃったのっていう風に出てくるんですね。イギリスは来なくなっちゃったんですね。なんでかというと貿易って儲からないといみないので、オランダとイギリスのですね貿易競争があって負けちゃったんですね。なので儲からないところに自らきても意味ないのでイギリスは来なくなったということになります。

カッコ3番。参勤交代とその影響ということで、3代将軍は力をどんどん強くする時代の将軍ですね。それが家光ですということです。家光はまずやったことは1つ、武家諸法度に参勤交代を制度として加えたよということです。参勤交代は1年ごとに領地と江戸を変わるがわるお引越しするというわけです。妻、子供はずっと人質としてずっと江戸にいるということになります。妻と子供は人質なので反乱をするとすぐその人たちがとっ捕まって反乱を鎮めなさいみたいなことができるわけですね。なのでこれはすごい効果的だったということです。あとは往復すると費用がかさむわけですね。あとは田舎に住んでる大名が都会に住むわけですから高いわけですね。生活費も高いと。みすぼらしい格好でいるわけにはいかないわけですね。あの大名貧乏なんじゃないかみたいなうわさが広がってもいやなので。しっかりとした生活をするとまたお金がかかるということですね。ということで大名の経済力、軍事力が強まっていったことになります。このことも江戸幕府が長く反乱を起こさせないで長く支配ができた大きな一つの理由になりますよとという風に覚えておいてください。

もう一個大きいことは鎖国をやったということですね。まずキリスト教の布教に熱心なスペイン人の来航を1624年に禁止したよということです。日本人の海外渡航と帰国の禁止、外にいた人も帰ってくるなとしちゃったんですね。これが35年ですと。これで終えようとしてたんですが、天草島原の一揆というキリスト教の一揆、反乱が起きてしまったので、これはキリスト教を厳しく禁じなきゃいけないねということでポルトガル船の来航の禁止、ポルトガルも布教活動をするので、もう来ないでということで鎖国を完成させましたというのが1639年ですということです。これでもともと☆ひらご☆にきていいよと言ってたオランダも厳しく取り締まりながら貿易はしなきゃねということで長崎の出島に移したということになります。中国も長崎の唐人屋敷というところのある1区画だけきていいですよという形をとりましたよという風に覚えておいて下さい。この時代中国は清という風に名前が1644年なので途中で変わってるということですね。はしっかりと見ておきましょう。なんですが、鎖国中も貿易はしてましたということですね。これがオランダと中国の長崎での貿易、そして朝鮮と蝦夷地、ここがロシアと繋がってます。そして琉球王国という形ですね。琉球は中継貿易の場所でもあったと。もともとあるのでこれは南蛮貿易で琉球王国自体の中継貿易の機能はなくなったんですが、中継地点としてよくつかわれますのでここから外国と薩摩藩が繋がるという形になります。なので他の4つの口と言われる形で4つ窓口が空いてたよということです。

朝鮮からいきましょう。対馬藩の宗氏というこれは大名ですね、が努力してくれて国交が回復しましたよということです。これは朝鮮出兵して関係がめちゃくちゃだったわけですよということですね。江戸幕府は朝鮮と正式な国交を開きました。その後ほぼ将軍が変わるごとに朝鮮通信使という人たちが江戸に来るようになりましたということです。これは挨拶に来させるわけですね。将軍の権威を強めさせるためにこういうことをしますよということになります。

釜山には日本の松島藩が行く場所として倭館という建物があって、朝鮮も鎖国みたいなことをしてるわけですから、そこで貿易をしてたということになります。

続いて蝦夷地は松前藩がここの担当をしてましたということですね。アイヌはもともとの先住民族ですね。がいたわけですと。アイヌがロシアと交流してるわけですね。そこからロシアの文化とかも入ってくるということです。ただ松前藩の政治の仕方が良くなかったということで、たびたびアイヌの反乱というのがありましたということでシャクシャインという人が中心となって反乱をしたと歴史に残ってますのでこれはしっかり覚えておいてください。

琉球王国は薩摩藩が征服しちゃったんですね。なので年貢を取り立てたりしていたりしていたということになります。琉球王国はそれまで通り中国との貿易を続けさせて、外国とも貿易をしてたのでその貿易の☆〜〜は☆薩摩藩がやっていったということですね。最終的に討幕のとき薩摩藩が出てきたのはこの辺の富も少しずつ溜まってきてることもあるということになります。

鎖国中で長崎の貿易品目は出てくるのでみておきましょう。まず、輸出品に関しては金銀と、あとは海産物が売れたということですね。これは見ておいてください。日本の輸入品としては中国の生糸、絹織物という高級品を買うというのは変わってないですよという風に見ておきましょう。

続きましてカッコ6番ですね。家光の時はどんとん支配を強めていったのですが5代の綱吉になりますよということです。綱吉は学問に熱心で儒学を祀って☆〜〜制度☆とかをつくりましたということです。あとは生類憐れみの令というものを出したということでも有名でした。この頃になると財政難になり始めてきてるんですね。財政を立て直すために貨幣の質を下げたので物価が上りましたって悪く書いてあるんですがこれ良かったことで、基本的にですね小判って金なのでじゃんじゃかお金をつくれないんですね。なんでお金が必要なのかというと戦争がないので人口が増えてるんですね。人口が増えてるからみんな色んな買い物をしてお金を使いたいんですけどお金自体がないのでみんな買い物ができないんですね。買い物ができないと結局物が回らないので経済がどんどん悪くなっていっちゃうということで景気が悪いわけです。だから税金もとりたてられないというような悪いスパイラルになってるんですね。とにかくお金が足りないので貨幣を金100%だったのを極端にいうと50%くらいの金にしてどんどんお金を増やして経済を回そうとしたということになります。

なんですが、これが⑥の☆正徳の地図が☆新井白石ですね。これが貨幣の質を逆に戻させようとしちゃったので結局は財政難は立て直せず安定はしませんでしたということです。あとは金銀がどんどん海外に貿易で払っちゃってるのでこれを防ぐために長崎の貿易を制限したということですね。これも逆効果ですね。貿易は儲かるのに制限しちゃったのでどんどん幕府の収入がなくなっていっちゃうということで、新井白石さんの政治はクリーンなイメージがあるんですが、いいことをしなかったんだよという風には覚えておいて下さい。

なので政治の立て直しということで1716年から改革が始まります。家康が死んでちょうと100年くらい経ってるわけですね。1616年に死んでるわけなので。3回も改革してるってことは一向に良くならないってことですね。全部失敗してるということになります。

まず1つが享保の改革です。御三家のひとつである紀伊藩の米将軍と言われた8代将軍徳川吉宗の改革になりますよということです。あれと、8代って嫌なこと起きるんじゃないんですかということなんですが、嫌なことが起きたというかしちゃったわけですね。何をしたんですかというと、上米の政というのをやりました。ようはとにかく財政がないのでお米をいっぱいくれということをやったんですね。大名にお米をいっぱいくれという代わりに参勤交代を緩めていいですよと言っちゃったわけですね。参勤交代は大名の力を削ぐための有効な手立てだったのにこれを緩めちゃったわけですね。なのですぐに大名がどんどん力をつけるような、藩にお金が貯まるというようなそういうことは起きなかったですが、じわりじわりとどんどん力をつけていくようなきっかけを作っちゃったわけですね。ただ飢饉のときの作物としてさつまいもとか、良いことはやってるんですね。あと目安箱を作ったりとか、公事方御定書という裁判の基準の法律をちゃんと定めたよということですね。それまではなんとなく気分でやってたと思って下さい。それはよくないよねということで、何したらこういう罰則みたいなのを決めたということになります。

あとはキリスト教に関係ない洋書の輸入を認めたので、これは良いことなんですが、後の蘭学の発達に繋がっていきましたということですね。この辺から外国のことを知れるようになったので☆〜〜☆に繋がっていくと、ちょっとしたきっかけになるんですが、これは別に悪いことではないですね。ということをやりましたということです。ただ結局良くなりませんでしたよということです。

三代改革の間に田沼意次さんという人が老中となって政治を立て直そうとしましたということですね。政治というか財政を立て直そうとしたんですね。何をしたかというと株仲間の公認をして税を取るということですね。これ賄賂をもらってるような表現が多いんですが、実際もらってたと思うんですが、商人がお金を持ってるのでそっからお金をとろうとしたわけですね。結局長崎での貿易にも拡大して、これは良いことなんですけども、どんどん商業で儲けようとしたんですね。なんですが結局幕府と商人だけ儲かるんじゃないかと批判されちゃったのでこの人は政治から、財政の立て直しの途中でいなくなっちゃったよという風に覚えておいて下さい。

続いて寛政の改革が始まるんですが、これがまた囲米の政とかってやるんですね。結局農業政策ばっかりやるんですね。享保の改革も。問題は農業じゃなくて商工業とか経済の方、商業ですね。こっちを立て直さなきゃいけなかったんですが、農業ばかりやるので結局効果はないですよということです。これをやったのが老中の松平定信さんですということです。あとは朱子学以外の学問を教えることを禁止という寛政異学の禁ということもやりましたということでした。ということで結局色々やったのですがこの寛政の改革までの時には全然立て直せないわけですね。

そんなことしてる間に1837年右側ですね。大塩平八郎の乱という大阪町奉行、ようは幕府の元役人幕府に直接支えてた大塩平八郎さんが天保の大飢饉で苦しむ人々を救おうと反乱を起こしましたということですね。ただ半日で沈められちゃったんですよということなんですが江戸幕府が始まってから反乱という反乱が無かったわけなのでこれは幕府にとっては一大事件だったということになります。

ちょっと前後しますがこの1837年はもう一個事件が起きていてモリソン号事件だよということですね。この下の四角にありますと。異国船打払令というのをやっていてアメリカのモリソン号を打っちゃったんですね。モリソン号は別に侵略しようときてたわけじゃなくて溺れてた人を助けてくれてその人を送り届けようとしてくれてたわけですよと。こういうことをやってたのでこれは良くないでしょということで高野長英、渡辺崋山という人が幕府を厳しく批判したんだよということになります。こういう事件があったんですね。なんですが幕府は批判した人たちを1839年に罰しましたということ。これは蛮社の獄という事件になります。なので幕府はもうがたがたの状態がもう1837年には起きてるんだよという風に覚えておいて下さい。

その後にちょっと戻りまして改革が始まったのが天保の改革、老中の水野忠邦さんがやった改革になります。これはまた農業政策みたいなのが多いですね。農村の立て直しをするために江戸に働きに来てた人々を強制的に村に返したりしたわけです。あとは物価を下げようと株仲間を解散させちゃったりと。田沼さんの逆をやっちゃったわけですね。なので結局はあんまり経済効果がないということです。

あとはこの頃になると江戸とか大阪が狭いんですね。もともとの街が。周りに御家人が住んでて旗本、御家人が住んでてその人たちに領地があったんですけど、街を拡充させないといけないということでこの人たちの領地を取り上げて番地を拡大して、もうちょっと田舎の方に領地を分けたわけですね。ていうことをしたのでそんなの面白くないわけですね。せっかく都心に住んでるのに田舎の方の領地にさせられちゃうわけですから。ていうことで支持率みたいなのが悪くなっちゃって失脚しちゃったんだよていう風に覚えておいて下さい。もうペリーが来るのは1853年なので、天保の改革が43年ですね。もうすぐに開国の時期が近づいてるんですね。外国のところでインパクトがあるんですけど、それは結局財政立て直しができないままペリーが来ちゃったということで結構幕府はこの時代しどろもどろですね。というような状況だったということは覚えておいて下さい。しどろもどろというか、たじたじというかてんやわんやみたいな感じですね。しどろもどろは違いましたね。失礼しました。てんやわんやになってるということです。

外国との話のところをちょっと戻ります。1792年ロシアのラクスマンが根室に来航して開国と通商を求めたんですけど日本はこれは拒否しましたということです。19世紀になるとラクスマンはわりと紳士的に来てくれたと、紳士的というか特に脅したりしなかったんですけど、結構ですねいきなり大砲を打ってきたりとかそういう外国船もあったわけですね。なので1825年に来たらトラブルの元になるから追い払えということで異国船打払令というのを出したんだよということになります。こういうことやってていきなり何でもかんでも打っちゃうもんだからモリソン号事件みたいなのが起きちゃったわけですね。

なんですが1840年にアヘン戦争がきて清がイギリスに負けたという衝撃の事実が幕府の方に入ってきますよということです。中国が負けちゃうくらいだったら、ちょっとまずいなと。戦争になっちゃうと。ていうことでこの異国船打払令というのはやめて、逆に水とか食料とかあげて返すと、穏便に帰って下さいみたいなことをやるようになったということですね。

そんな中1853年になるといよいよペリーさんが浦賀に来て開国を求めましたということです。最終的に幕府は日米和親条約を結んで下田と函館を開いたということと、あとペリーは鯨をとってるんですね。その時のアメリカが。その時の立ち寄り基地が欲しかったということなので、食料とか燃料とか水とか分け与えるということも日米和親条約に入ってるということですね。貿易を積極的にしましょうという条約ではなかったと覚えておいて下さい。この時にただ幕府は大きいことだったので、朝廷、天皇にも開国するかどうか相談した上でこれを結んだという、そういった流れがあるという風に覚えておきましょう。

続いて貿易の始まりですね。その後ですねすぐに1858年にアメリカのハリスさんという人がいてこれが開国が始まって☆〜〜☆の役割が出て井伊直弼さんが日米修好通商条約に調印しましたということになります。なんですが、この時に井伊直弼さんは朝廷に相談しなかったんですね。このことが批判の的になって井伊直弼さんは襲われて死んじゃいますよということになります。それが桜田門外ノ変という事件ですね。日米修好通商条約の内容に関しては非常に重要ですしこれが明治時代のこの条約を解消するのが大きなテーマになっておりますので、しっかりと内容を見ていきましょう。

まず下田函館の他に横浜、神奈川でも良いです。長崎、新潟、兵庫を開港するという風にしました。兵庫は神戸でもいいです。下田は閉じるという形になります。なので5つ開港して港ができるわけですね。大きなのが2つです。関税自主権がないということと領事裁判権を認めるということですね。これは関税自主権だけ覚えても意味ないです。関税自主権が「ない」ということが重要なんですね。自分で関税を決めることができないということです。これはまた経済の時にも勉強しましたが関税というのは自国の産業を守るためにつくるものですよね。そらが自分で決められないということはアメリカのものがばんばん入ってきちゃうということですね。ということなので基本的に不平等だということは内容からも分かることだと思います。領事裁判権を認めるというのはどっちから見たかって話なんですけども、日本から見ると日本の裁判の権限を行使できないわけですね。なのでアメリカ人が日本で犯罪を犯した時にアメリカがアメリカの法律で裁くという形になります。日本人を殺しちゃったと仮にしたときに無罪とかできるわけですね。なので日本の中の秩序がめちゃくちゃになるということなんですが、これを認めさせられちゃったということになります。結局アメリカだけでなくオランダ、ロシア、イギリス、フランスという欧米の国に全部結ばされましたということになります。こういう不平等条約を結んだので幕府の信用もまたガタ落ちになったということです。いよいよ幕府はダメだよねということで尊皇攘夷運動が展開されるようになりましたということです。これは尊皇というのは天皇中心ですね。幕府を批判すると考えて下さい。攘夷というのは外国を倒せという意味になりますので外国を追い払えということになります。という考え方が広まったと見ておきましょう。

ちょっとごめんなさい順番前後しちゃったのですが、幕末の貿易の影響ということでこれは見ておきましょう。結局外国が入ってきて貿易が始まることは始まるので、どんなものを買ったり売ったりしてたのか見ておいて下さい。日本のものでどんどん売れたのが生糸なんですね。日本でもマニュファクチャとか始まって生糸とか質のいい物が作れるようになりましたということです。ばんばん作っていってどんどん売れたんですけども結局国内生産が追いつかずになっちゃって品薄になっちゃったんですね。日本人が使う物が品薄だと値段が上がっちゃうんで買えないということで、せっかく売れてるのに日本人が困るということになりましたということです。逆に外国から安い綿花とか綿織物が大量に輸入されてきたので、日本の関税がかからない状態で入ってきちゃうわけですからこれも困っちゃうということですね。国内のものが売れないということで二重苦になっちゃったんだよということは覚えておいてください。

ではカッコ11討幕の動きですね。安政の大獄で幕府を批判する人を厳しく処罰した井伊直弼は水戸藩の出身の牢人らに命を奪われました桜田門外ノ変、これさきほどですね。安政の大獄ちょっと飛ばしちゃったので、日米修好通商条約で勝手にこれを結んだと井伊直弼さんされたと。天皇に相談しなかったからですね。そういうことを色々批判したんですね。そういう人を結局はとっ捕まえて処罰するということをやったわけですね。蛮社の獄と同じようなことをやったわけですと。これはけしからんということで井伊直弼さんは水戸藩出身の牢人らに殺されちゃったんだよということになります。

その尊皇攘夷運動ということで始まったんですけども攘夷は不可能だということで他の藩は考えるわけですね。それが右側の欧米との戦いです。まず薩摩藩は薩英戦争ということでイギリスと戦ってぼこぼこにやられたということですね。イギリスの大砲が海から薩摩に向かって撃ってくるんですが、届くんですけども、薩摩が大砲を撃っても届かないと。性能の差も凄かったわけですね。これがなんで起きちゃったんですかというと生麦事件というのが起きて、これは神奈川県の生麦という場所ですけども、大名行列が歩いてるわけですね。大名行列があると基本的に通る時はみんな頭を下げて、本当に座り込んでお辞儀をしなきゃいけないという風習があるんですけどもこれをやらなかったんですね、イギリス人が。でこれはけしからんということでイギリス人を殺しちゃったわけですね。武士には切り捨て御免という特権があるわけですと。警察の機能として。ということが昔はできたので殺しちゃったのですがイギリス人からしたらよく分からないのでこれは怒るということで戦争になっちゃったということです。長州藩は外国船が通るたびに大砲を撃って砲撃したりしたんですね。これもけしからんということで下関に4カ国艦隊が来て占領されて負けたということになります。

なので外国に勝てないという、まずは日本を統一して強い国にしなきゃいけないと、統一してというか、幕府の体制を変えて日本を強くしなきゃいけないということで薩長同盟というのが、薩摩と長州が結びついて、これはイギリスが援助してたわけですが討幕を進めていったという形になります。結局幕府はこれを抑えることができず、政権を返そうということで徳川慶喜が大政奉還をやりましたということですね。朝廷は王政復古の大号令を発表してまた天皇を中心とする政治を始めましたということになります。なのですが幕府と、この新政府軍との戦いに関しては王政復古の大号令が終わった後も続いていてこれが戊辰戦争ということでずっと続いていったということですね。鳥羽伏見からこれが函館の五稜郭までどんどん北へ北へと追いやられながらも戦っていたんだと覚えていてください。

江戸は無血開城という形で江戸は人口も住んでいるということなので、ここで戦争がおきるとまずいということで話し合いの下ここでは戦争はしなかったということは一つ有名なことになります。ちょっと飛ばしましたが右側に薩長同盟、薩摩と長州それぞれの中心人物ですね。西郷隆盛さん、大久保利通さん、そして木戸孝允さん、この仲立ちをしたのが坂本龍馬でしたということで復習しておきましょう。

では最後166ページですね。キリスト教と貿易ということでちょっと戻りますがいきましょう。まずキリスト教と貿易なんですがキリスト教を使って、キリスト教に対してポジティブな姿勢というか、ウェルカムな姿勢があれば貿易もセットでやってくるということですね。それもあってキリスト教を熱く保護した大名もいたんだよということになります。

②のとこはですね、こういう対比で整理することはすごく重要なのでこの表はいいですね。信長と秀吉、家康のそれぞれのやり方とか姿勢の問題が書いてありますと。

信長は南蛮貿易に積極的。火薬や珍しいものを得たり貿易のお金を得るということですね。仏教勢力に対抗していくこともあって違う宗教を保護していったよということになります。

秀吉はキリスト教を初め保護してたんですが、キリシタンもですね、結局は仏教と同じで宗教で固まって反乱を起こすと、勢力が強まるということがあるので、秀吉もバテレン追放ということをやっておりますと。ただ貿易は儲かると分かってたので宣教師は追放するけどその国の人は来ないようにはしなかったわけですね。なので貿易はやってたんだということです。なので結局隠れて布教ということがちょこちょこおこっていたんだよということですね。

家康はキリスト教はもうダメとしましたが貿易は積極的に認めたということですね。逆に朱印状をもって日本人を東南アジアに行かせてたというようなことですね。なので日本人の住む街が各地にできていったということになります。結局鎖国をしていったということですね。鎖国をする時に今度はキリスト教に対抗するために仏教を使ったわけですね。どこかの寺院の信者になりなさいという寺請制度が設けられたということです。この家はどこの寺の檀家という文化が日本に根付いたということですね。なので誰かが亡くなるとお寺でお教をあげてなんていうのがこの時代から一般にも定着していったということで今も文化といえば文化ですね。日本の中に残ってますよというのもこの時代の名残なんだと覚えておいてください。167ページに今話したことが全部表でぱっとなってるのでこれいいページですね。これもコピーしてトイレに貼って、何度も何度も見るということですね。流れをちゃんと頭に叩き込むということと、うーんと思い出した時にこういう票が頭の中に思い浮かべるといいなと。順番並び替えができちゃうわけですから。何年とか分かってなくてもね。

では長くなりましたが今日の部分のとこも重要になりますのでしっかりと夏休み前に復習してください。では今日はここまでにします。ありがとうございました。


▼音声データ


【参考文献】四谷大塚発行 予習シリーズ6年上

【著者】鈴木 俊(すずき しゅん)




 
 
bottom of page