社会ラジオの実況中継 6上第17回 政治外交史3
- Shun
- 2024年6月13日
- 読了時間: 31分
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00:00〜冒頭部分
みなさんこんにちは、シュンです。では第17回政治外交史3、明治時代から昭和時代までいきましょう。今回もめちゃくちゃ長いですのでしっかりと整理しながらいきましょう。まず3時代をやっていくんですが、それぞれの時代のテーマを確認していきましょう。
まず明治時代は近代国家になっていくため条約改正のために色々動いた時代だということなので明治時代のちょうど最後に条約改正も終わったというような時代になります。
大正時代は国内の話が中心になりますが大正デモクラシーという民主主義に向けた動きということと経済のところですね。第一次世界大戦があって日本は直接参加しなかったので大戦景気という好景気だったんですが、終わると一気に不景気になり、関東大震災、世界恐慌となっていってどんどん不景気になってしまったよということですね。あとはデモクラシーの最後の締めということで普通選挙法ができたりそれに伴って治安維持法ができたりということが大正時代の終わりでした。
昭和時代はその不景気を打破するために戦争に日本が参加していくというか、仕掛けていうということですね。満州事変、日中戦争そして太平洋戦争という形でなりますが、残念ながら戦争をして景気は回復せず終戦という形になりましたということですね。その後、戦後の復興で朝鮮戦争がありそれから特需景気になり高度経済成長、バブル経済という形でどんどん進んでいった、ということで結局戦後になって初めて景気が回復していった。というのが昭和、戦争をしても景気は回復せず戦後に、隣国の戦争をきっかけに経済が回復していったという時代でしたということです。この大きな流れをちゃんと覚えた上でそれにパーツを足していくようなイメージでしっかりと整理ができればいいんじゃないかなと思います。
02:20~明治時代
では170ページまずは明治時代の初めのところですね。前回江戸時代の終了までやったのでその続きからということです。まず天皇の政治に戻るということになります。これは何度も言ってますが天皇が政治をすると中央集権国家になります。これは日本の平安時代とか含まれてですね。武士がやっていた時は地方分権と。封建制度という形で国のことは国に任せるよということでしたが天皇になると全部天皇が統治しますよと。明治時代も例外なく中央集権国家になるわけですね。
まず1番初めに五箇条の御誓文というのを出してこれから天皇中心に政治をしていきますよというのをこれは大名に対して出しました。なぜ大名に出したかというと江戸時代の政治の仕方が武家諸法度を大名に出して取り締まっていたということですね。それにあてがって同じような形をとったという風に覚えてください。国民に対しては五榜の掲示ということで一揆しちゃだだよとかキリスト教ダメだよというような注意事項みたいなものを各地に立てていって伝えていったんだということになります。
次の1869年と1871年で大きく明治時代の政治の仕方にシフトチェンジしていくよということですね。
まずは版籍奉還という形で全部大名が持っていた土地と人民を朝廷に返しなさいと。公知公民と同じようなことをやったということですね。
次に政治区分をきちんと作らなきゃいけないということで廃藩置県。藩を無くして今度は県という形で統治していった、区分をつけていったんだよということで覚えておいてください。これで直接支配ができるようになったのでこれから政府の命令とか法律とかが出せるようになったということになります。
あとは身分制度も変えて華族、士族、平民というような身分制度をおきましたよということは覚えておいてください。
ということで明治時代の国の形はこれでなんとかできましたということですね。ここから何やりますかということで考えていった時に条約改正ですね。関税自主権がない、領事裁判権を認めるというこの2つ、不平等条約を5カ国と結んでたのでこれを解消していくいうことですね。
第一弾としてやったのが右の四角にある岩倉使節団の派遣ですね。1871年に江戸幕府が結んだ不平等条約の改正準備等を目的に岩倉具視を代表とする使節団が欧米に行きました。なんですがダメだよといって帰ってきちゃったんですね。その理由が日本が近代国家でないというのが大きなことでした。近代国家でないというのはまず法律と制度が整ってないよねと。立憲政体がないということですね。
もう一つが植民地がないということで強国として認められないということになります。なのでここからの明治時代のテーマはこの2つですね。立憲政体をきちんと作ること。そして植民地を得て強国だということを証明するというこの2つが大きなテーマになりましたということです。
ではカッコ2。そのスローガンとして富国強兵、殖産興業というのを掲げていきましたということですね。やったことは3つです。大きく書くと4つになるんですが、地租改正もここに入れてもらって構いません。
まずは税金を集める制度を作らなきゃいけないということが地租改正になりますと。あとは徴兵令というのを出して軍隊、強い軍隊を作らなきゃいけないということが大きな2つですね。あとは学制ということで、きちんと国が教育をしっかりしていって、そこから徴兵になったり農業ですとか工業とか色んな事を育てるには教育が重要だということで乗り出したということです。なので学制、徴兵令、地租改正というのが3つ出したということですね。
あと工業のことも力を入れようということで官営工場をつくって富岡製糸場というものを作りましたということになります。これはフランスの技術を入れたというのは有名というか入試にも出ますのでしっかりと覚えてください。ここで働いていた人たちは士族の娘たちですね。なので比較的身分が高い人たちの子供、大名たちの子供とかですね。位の高い武士たちの娘がここで学んでこれを各地に持って帰るということですね。右下に製糸工場で働く女工の歌ということで、書いておりますがこれは富岡製糸場ではなく、それを模範して作ってった各地の工場ですね。ここで働いてたのは士族の娘ではなく労働力として貧しい農民の娘を中心とする人たちということで女工という人たちです。この人たちは厳しい環境で働かされたんだよという風に覚えてください。富岡製糸場で働く時は厳しい環境ではなかったんだよと。身分の高い人たちですからね。という風にインプットしておきましょう。
戻って学制徴兵令は内容からもわかると思います。
そして地租改正ですね。地租改正は税金をとる仕組みを作ったということです。江戸時代までは年貢からだったんですが、これは米の収穫量で安定しないので、予算立てられないのでちゃんとお金で払ってください、一定額払ってくださいという税金の制度にしましたよということです。何に対してかけたのかというと土地の値段ですね。は大きく変わらないので土地の値段の3%を税金として収めさせましたということになります。これをやるときに土地の測定、測量をしてということですね。ようは検地をしたわけです。太閤検地と似たようなことをやったと思ってください。太閤検地のときはこれくらい米が取れるよねという基準だったんですが、検地をした結果土地の値段はこれですね、としたと思ってください。同じことをしたわけですね。結局隠していた田んぼとか畑とかあったわけですからそういうのが全部明るみにでて全部に税金がかけられてということですと。あと土地を所有者に発行していくような形になったので土地を持ってない農民たちも自分の土地を持つようになっていったということですね。なんですが、結局土地の3%だと金額としてはめちゃくちゃ大きいわけですね。一般的に今で考えても土地を買うとかって言ったらローン35年ローンとか、35年間支払ってやっと買えるというようなことになるわけですから、それの3%というと結構大きいわけですよね。なので結局この地租改正の重税になったと。増税になったと。重税でしたし増税になったということですね。なので農民は反対をして一揆を起こしたんだよということです。結局2.5%に引き下げられたんですがそれでも苦しい税金だったと覚えておいて下さい。
ちょっと戻って徴兵令と学制に対してもこれは一揆が起きておりますということも覚えておきましょう。どんな理由からかというと学制徴兵令という若い人たちですね。が学校に行ってしまったり徴兵令で軍隊に行ってしまったりということで労働力が奪われるということがあったわけですね。貴重な労働力だったわけです。それに対して税金も高いしということで農民にかかる負担が多かったのでこういう反対、一揆がおきたんだという風に覚えておいてください。
では171ページ行きまして自由民権運動の始まりということで見ていきましょう。明治政府は始まったんですが結局薩摩長州が中心になる藩閥政治というのが展開されましたということです。
それに対して板垣退助さんが、もともとは藩閥政治のチームだったんですけども、西郷隆盛さんと一緒に征韓論を唱えてそれで意見が分裂して追い出されたと、自分たちで出ていったんですね。ということです。なので今度は批判する側にまわりましたということです。
板垣退助さんは民選議員設立建白書という意見書を出して言論によって批判して政府を変えていこうということをやったんですね。こっから始まったのが自由民権運動でしたということです。
西郷さんは士族ですね、元武士の人たちが結局不満があるので反乱を起こすと。ということの先頭にたって西南戦争という反乱を起こしたんだよということですが、負けましたということですね。これにより、武力による反発をしても勝てないなということで言論による政府批判、自由民権運動がより強まったんだよということになります。
この強まりを受けて政府も1890年に国会を開くという約束をしましたということです。国会が決まるとなると議席をとらないといけないのでまとまった集団が必要ということで政党ができるわけですね。板垣退助さんは自由党、大隈重信さんは立憲改進党を作りましたということです。大隈さんは早稲田大学を作った人なので早稲田系列を受ける人は確実に覚えてください。
7番、憲法の制定ですね。国会を開くとなるとその基準が必要だよということで憲法を作ろうということです。伊藤博文さんはヨーロッパに行ってドイツの君主の強い憲法を学んで帰ってきましたということです。さらに内閣も作ろうということで初代内閣にも伊藤博文さんはなりましたということです。ただ内閣制度はできたんですけどもほとんどを薩摩長州の人が占めていく藩閥制度は続いていったんだよということです。憲法を1889年、国会ができる前の年ですね。開く前の年に明治天皇によって発布されましたということです。これが2月の11日ですね。大日本帝国憲法で主権は天皇ということです。この辺は散々6年生の上巻でやったので日本国憲法と対比してしっかりと見て復習しておきましょう。
結局、次のページ行きまして、議会政治が始まりました。これは1890年に第1回衆議院議員総選挙が行われました。国会といっても帝国議会という名前で貴族院と衆議院という形ですね。貴族院は華族が議席を占めていってこれは入れ替え選もないですし、基本的には。選挙がないので。基本的には入れ替わらないということですね。衆議院だけが選挙で選ばれるという二院制だったんだよということです。かつ選挙権を持ってるのは直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子でしたね。これはめっちゃ金持ちの人しか選挙権がないという風に覚えてください。満25歳以上の男子はなんですかというとこれは一家のお父さんが25歳以上と。一家の結婚して主人になるということですね。なので男子に与えたというよりは一家に一票という考え方でこういう規定に進めたんですよということになります。ただこれは大正デモクラシーの時もありますが、だんだん女性の参政権ですね。一家に一票じゃなく、個人に意見があるよねというようなことからも変わってったんだよという風に覚えておいて下さい。
ということで、まずは立憲政体が整ったということですね。なのでちょっと先に行きますが173ページの真ん中ですね、不平等条約の改正ということで1894年の日清戦争の直前に陸奥宗光さんがイギリスと交渉して領事裁判権の廃止をもぎ取りましたというか獲得しましたというか、条約改正がなされましたという形ですね。ただもう一個の植民地の方ができてないから関税自主権の方はこのタイミングでは改正してもらえなかったんだよという風に覚えておいてください。
では戻って172ページなんですが、カッコ9のとこですね。順番前後しましたがこの立憲政体を作ってるのと並行して条約改正に関しては色々動きはとってるんですね。鹿鳴館なんてのを舞踏会を開いて近代化したよなんてしたんですが、こんなの見せかけになっちゃうのでダメだよということですね。更には1886年にノルマントン号事件ということで領事裁判権の廃止が必要だと。イギリスの法律で裁くと。領事裁判権を認めるに関して不満が高まっていったというようなこともありましたよね。ただ結局は立憲政治があるというような近代国家の条件を一つクリアしたからオッケーになったということになります。
いよいよ植民地をとりにいくわけですと。1個目に始まったのが日清戦争ですね。そもそも朝鮮をとりにいこうとしてたんですが、朝鮮が清の属国、ようは子分に位置するような国というような当時は扱いでしたということですね。何を朝鮮にするにも朝鮮は中国にお伺いをたてる、清にお伺いをたてるというような考え方だったので朝鮮にちょっかいをだすと清が出てくるわけですねということです。そんな中朝鮮で甲午農民戦争という農民戦争が起きましたということですね。これで朝鮮はこの一揆をおさめきれなかったので助けてくれということで清に依頼をしたら日本も俺たちも行くよという形で勝手にきて、結局は清の軍隊と日本の軍隊が朝鮮でぶつかりあうという構図になってそこで戦争になったんだよということです。結局は日本が勝ったという形になりますがきっかけはこんな感じだったんだよということですね。戦争があると講和条約を結ぶというのが基本のセットになります。なので日清戦争の時は下関条約を結びましたということです。何を話しあいで決めたんですかというと①②です。清は朝鮮が独立国であると認める。そもそもの目的はこれだったんですが、色々勝ったので日本は要求をするわけです。あとは2億程度の賠償金を払いなさいとか遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本の領土とするなんていう風に領土までもらっちゃったわけですね。ただやりすぎでしょということでロシアが登場しますと。これはこの後の遼東半島とかそういったところをロシアは取りたいと思っていたからということもあるんですね。ドイツとフランスも呼んで三国干渉ということで、結局は日本は当時の力関係的にうーんということで渋々返しましたということになります。
ということでこんなことやってたんですが、日本は次ロシアが次戦うないうことがあったので準備をしていくということでパートナーになったのがイギリスでした。日英同盟ですね。さっきの条約改正も1番初めイギリスだったので、イギリスとしてもこの頃から日本との関係を見越して条約改正をしてくれたという見方もできますね。この辺繋がってるのでセットで覚えていきましょう。日清戦争の直前に陸奥宗光さんが条約改正してますので1つ目のことですね。なので下関条約も外務大臣は陸奥宗光さんですよと。ここもセットで覚えましょう。
そのままいきまして日露戦争ですね。1904年満州は朝鮮半島を巡り日清戦争が始まりましたということになります。東郷平八郎さんが率いる艦隊は日本海でロシアを破るということをやってたんですが、ロシアの本拠地はヨーロッパの方にあるわけですから、そこから一部の戦力だけを送ってたということになりますね。なのでロシアの本国を叩いてるわけではないので、なかなか戦争が先に進まないんですね。そんなことやってると戦費がかさんでどんどんどんどん重税という形で国民から税金をとっていくので国民はこの戦争に対して悪い印象を持っていくということですね。なので国民の生活はどんどん苦しくなりましたということです。そんな中ロシアでも革命運動とか起こって、これどころではないよねということもあったのでアメリカの大統領セオドアルーズベルトさんが中立をしていただきまして1905年にポーツマス条約を結んで日露戦争は終了という形になりました。一応日本が勝ったという形になってるんですが、これは東アジアにおいては勝った、くらいなんですね。なのでポーツマス条約の内容に関してはそこまで有利な条件を引き出せたわけじゃないよということです。まずはロシアは韓国に対する日本の主導権を優先すると。この時に朝鮮が大韓帝国と名乗ってたので韓国という名前がここから突然出てきます。ロシアは樺太の半分、南半分を日本に譲ると。あとは有純大連を、これは中国からロシアが治めていいよという権利をもらってたんですが、これを日本に譲るということですね。南満州鉄道の権利を日本に譲るということになります。このポーツマス条約に関しては外務大臣は小村寿太郎さんでしたということです。
ではめくって次の173ページですね。ポーツマス条約は結んだんですけども結局重税に耐えてきたにも関わらず賠償金を得られなかったということで不満が高まって、日比谷焼打事件なんていう事件も起こったということですね。ただこれから韓国、朝鮮に対して日本の支配が始まりましたということです。初めは統監府とかをおいて政治を行って色々とやってたんですけども伊藤博文さんが暗殺されるという事件があって、韓国という国を無くして日本の一部にしてしまおうということで1910年に韓国併合を行ったんだよという風に覚えておいてください。これによって韓国を植民地にして日本は植民地を持つ国ということで強国という形になったんだよということです。
なのでカッコ4番、1911年に小村寿太郎がアメリカと交渉して関税自主権を回復したんだよということです。ということで明治時代はばーっときましたが、幕府を倒してから国を作っていったんですが、その中で不平等条約があって、不平等条約を改正することが一つの目的になりますと。その中で国の政治を、立憲政体を整えていくというというストーリーと、韓国、植民地を取りに行くというストーリーがあってがあってこれがちょうど明治時代の終わりになった、達成されたという風な形になりますと整理していきましょう。
23:00〜大正時代
では大正時代です。まずは第一次世界大戦がヨーロッパでおきます。日本はほぼ関係ないんですが、日英同盟を理由にイギリスの敵対国であるドイツに宣戦布告をして中国のドイツ領を勝手に占領しちゃいましたということです。さらに中国はこの時には1911年に中国で革命が起きて中華民国という国になっておりますと。そこに対して日本は大家二十一ヶ条の要求ということで中国に色々不平等条約みたいなのを押し付けたんだと覚えておいて下さい。あとは初めにもお伝えしたとおり、戦争をしてない国、戦争をする国を支援する国が儲かっていくという仕組みがあるわけですと。世の中には。なので日本は直接戦争をしなかったので戦争を補助をするもそうですが、特にこの時は他の国が戦争に集中しなきゃいけなくなったので、ヨーロッパが色々売っていた場所とかマーケットが空いたので日本が一気に入って日本は大戦景気という風になったというのが大きなトピックスでしたということです。ただ1919年のベルサイユ条約が結ばれて第一次世界大戦は終わりましたということですね。日本はドイツが中国に持っていた権利などを受け継ぎ、結構いい条件でもらえましたよということになります。
あとは第一次世界大戦という世界大戦が起こったことを反省して国際連盟というのが作られました。これはアメリカのウィルソンさんが提案したんだよとということになります。本部はスイスのジュネーブでしたが、結局第二次世界大戦が行われちゃったので効果がなかったですよと。効果が無かったのは大国の不参加ですね。結局アメリカは入らなかったと。議会に反対があったので入らなかったということ。そしてソ連とかドイツは参加を認められないよということですね。あとは武力制裁というのがないので経済制裁がしかできないのでいまいち拘束力がないということ。最後の1つが全会一致制ですね。全部の国がイェスと言わないと国連としての、国際連盟としての決定が出せないと。当然意見が割れるわけですよねということでした。
このベルサイユ条約結ばれた後に朝鮮では日本の独立を求める運動ということで三一独立運動が起こったり中国ではベルサイユ条約での、中国にとっては不利な条約の内容だったので、これに対して五四運動というのが起こりましたということです。
では174ページいきまして、また海外のことですね。シベリア出兵と米騒動ということです。先ほどソ連の名前を出しましたが第一次世界大戦中にロシア革命が起こって社会主義の国ができましたということです。それがソビエト社会主義共和国連邦ということですね。1922年になります。ちょっと先です。この革命が起きた時にこれを失敗させようにして日本はシベリアに軍を送ったシベリア出兵とかをやったんだよということです。
社会主義がなんでよくないかというと、結局は資本主義の国はお金持ちの人が政治を動かしていくというのが基本的形になってますと。この社会主義がどういうことかというと、財産も全部国のものですという考え方なんですね。これになっちゃうと、貧乏な人は嬉しいという形になりますが、お金持ちの人はこれをみんなで共有するとなったら自分の取り分というか、自分の財産がなくなっちゃうので嫌なんですね。なのでこれが起きちゃうと困るということで資本主義の国々はこの革命は失敗させようとしたわけですね。成功すると自分の国もみたいになっちゃうと困るわけですから。日本もシベリア出兵を出したんですけどもそれを見越した商人が米の買い占めとかですね、この辺は日露戦争でこういう出兵したりすると色々お米を持ってったりとかそういうのが起こるなということで睨みをきかせたんですね。このことによって株価が急上昇しちゃったんだよということです。富山でですね、まず主婦が米屋に押しかけて、大暴れしちゃったよということですね。これがブームというかここで起きたら他にも広がってということで日本全国で米騒動が起きちゃったんだよということでした。
では続いてカッコ4番ですね、政党政治の実現。国内では大正デモクラシーということで民主主義を求める動きが活発化していました。これが尾崎行雄、犬養毅がやった護憲運動ということですね。結局立憲って作った割にはちゃんとできてないじゃないかと藩閥政治がずっと続いてるじゃないかというようなことになります。自由民権運動と似たような運動が続いてるという風に整理していただいて構いません。なんですが、結局米騒動というような騒動が日本全国で起こっちゃったので寺内正毅さんの内閣が責任をとって総辞職をしましたよということですね。これによって立憲政友会、政党の出身の原敬さんが初めて内閣総理大臣なり政党内閣を作りましたということになります。1925年に加藤高明内閣のもとではついに普通選挙法というものが作られて、満25歳以上の全ての男子が選挙権が与えられました。お金持ちかどうかは関係なくなったということですね。なんですが、お金持ちかどうかが関係なくなるというのはさっきのロシア革命の社会主義文脈とすごい紐づいてくるわけですね。結局はお金持ちじゃない人たちに選挙権を与えるとその人たちの意見は社会主義になっちゃうんじゃないかという恐れが出てくるわけです。それは困るということなので選挙権は与えるけど社会主義運動をするんだったら選挙の前にとっ捕まえちゃえというような発想になったわけですね。それが治安維持法でしたということです。初めは社会主義を取り締まる法律だったんですけどもそのうち国を批判する人を取り締まるような法律になっちゃったんだよという風に覚えておいて下さい。これが1925年の大正時代の終わりということです。
29:30〜昭和時代
では昭和の時代ですね。先ほどお伝えした通り、大戦景気が終わって戦後の恐慌があり、不景気が始まりました。関東大震災もあり、世界恐慌の煽りを受けてどんどん不景気になっていますよというのが昭和時代の始まりです。これに動き出したのが軍部と財閥だという風に覚えておいて下さい。
先にですね178ページの③のとこですね。軍需の優先というところを少し見ておきましょう。1931年満州事変以降軍需の増加と政府の保護政策によって☆重加工業☆が著しく発達しましたといいことが書いてありますね。第二次世界大戦の軍事品が優先的に生産され、財閥が大きな利益をあげましたという風に書いてあります。これはなんでこんなことが起きたのかというのが四角のとこですね。財閥の拡大と解体ということです。大正時代から昭和初期にかけて財閥が潰れかけた会社を吸収して一層強くなりました。一方政党は財閥と結びつき党や財閥の利益を重視していきましたという風になります。結局こういった財閥と国が結びついてしまったということですね。財閥は会社ですから利益をあげなきゃいけないということになります。そうなると不景気をどうにかしてくれというものが国の方に意見されるわけですね。国はどうやってこれをやるかというと第一次世界大戦の時は色んなとこに物を売れたので景気がよかったということですね。なので売り先を広げればいいという発想なので植民地を広げていこうということですね。あとは売り先もそうですし、日本は資源がない国なので、資源をわざわざ買ってるわけですね。これを自分たちで取れるようになれば資源が潤うよねということで取りにいこうという風に動き出したんですね。なのでこの時に狙いをつけたのが満州で満州は日本の生命線だというスローガンがあったくらいなんですよということです。ただ何にもきっかけがないと戦争はできないので自作自演で起こしちゃいましたというのが、柳条湖事件、南満州鉄道爆破事件ということで、そのまま占領して満洲国を作っちゃいましたということでした。これは国連に訴えがあって日本が悪いよという風になったんですけども、悪いよとなっても全会一致なので日本は反対してるので国連はこれ以上何もできないわけですね。これに日本は不満として1937年に国際連盟を脱退して国際社会から孤立しちゃったんですよという風に覚えておいて下さい。
孤立するとどんどん戦争の動き、植民地を取り増やしていこうという動きが強まるということですね。それで起きちゃった事件が2つ。五・一五事件と二・二六事件です。これは対比で覚えましょう。五・一五事件を起こしたのは海軍の青年将校。二・二六は陸軍の青年将校ということですね。軍隊は海軍と陸軍の2つにこの時代は分けられるんですけど、当然仲は良くないわけですね。なのでどっちかが何かやるとどっちかが何かやるという構図になりますということです。
五一五事件はその時の首相である犬養毅さんを殺しちゃったよということですね。これで8年間続いてきた政党政権が終わっちゃって軍事が強まっていくということになります。二・二六事件もそれに拍車をかけるというようなことになりました。
ではカッコ3。満州をとったものの、全然回復しないので中国本土を取りに行こうということで始まったのが日中戦争だと整理してください。これが1937年の盧溝橋で日中の両軍が衝突して始まったんですよということでこれが盧溝橋事件と呼ばれますと。この戦争で日本は中華民国の首都である南京も占領して南京の多くの人を殺害して南京大虐殺なんていう事件も起きましたということです。ただこれで中国自体は倒せたというか押せ押せだったんですけども、アメリカ、イギリスが支援をしたりとか、日本もテント戦なんていう風に、都市は抑えていくんですけどもその周りを占領していかないので一向に中国への支配権が持てないというようなことが続いて、結局戦争は泥沼になっていったんだよということですね。戦争していくにはどんどんお金を使うので余計景気が悪くなるわけですね。なので結局1938年、国家総動員法というのを作って国に協力しなさいということをやりましたと。これで議会というのが無力になりましたということですね。政党もいっぱいあるとうるさいので解散しなさいということで、大政翼賛会という一つに集約されたということになります。
ということで日中戦争やるんですが、全然景気良くならないよということです。そんな中日本と同じような動きをしてる国が2つあったんですね。それがイタリアとドイツですと。この2つも資源がない国になるので奪ってそれを補っていくということをやらなきゃいけない国、ということで境遇が似てたわけですね。なのでドイツとイタリアの三国同盟を結んだということになります。
そんな中1939年にはドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦がヨーロッパで始まってます。日本は資源を取りに行きたいので南に進軍したいんですね。狙ってたのはフランス領インドシナ、ベトナムの方になりますとということです。ここに兵を進めたいんですけど南に攻めていくと北の強国が怖いわけですね。それがソ連でしたと。ソ連がいつ攻めてくるか分からないと。北海道のほうですね。ここを抑えながら南に行くのはさすがにできないと思ってたんですが、ソ連が日ソ中立条約で攻めないよという条約を結んだので、これはよし、ということで一気に南に軍隊を進めていくわけですね。軍隊を進めていった先にマレー半島ではイギリスがいますということですね。このままインドネシアの方に、南に進もうと、海を辿って行こうとするとフィリピンとかアメリカが持ってるわけですから、ここにアメリカがいるということで、イギリスとアメリカと戦わなきゃいけないよということになります。
なので1941年、陸軍がマレー半島、海軍がハワイの真珠湾に攻撃を仕掛けたんですよということですね。これも対比で覚えましょう。これが太平洋戦争の始まりでしたということです。初めは勝ってたんですけどミッドウェー海戦で敗れてから日本は負け続きになりましたということですね。最終的にサイパン島をとらえちゃったということですと。44年には。サイパン島をとらえるとアメリカ軍が日本の各地に空襲ができるようになりましたということですね。これはなんでっていうと、爆弾を落として帰ってくるという距離を考えると、往復分の燃料をつんで飛ばなきゃいけないわけですね。その距離を当時の飛行機の性能を考えるとサイパン島くらいの距離のところからそれが可能になるわけですね。なのでサイパン島をとらえた日本の軍事上はいけなかったんですけど、これをとらえたので本土に攻撃をされるようになったということになります。
1943年にはイタリアが降伏して45年にはドイツも降伏したということで日本はさらに孤立していったんですよということです。ただなかなか降伏しないわけですね。ポツダム宣言の受諾ということが最後になりますが5番ですね。45年にアメリカ軍によって東京大空襲が行われたり、4月にはアメリカ軍が沖縄に上陸して激しい地上戦ですね、沖縄戦とかもやったんですが、まだ降伏しないということですね。
このポツダム宣言でアメリカとソ連がメインで話し合ってるんですけど、取り決めをしてるわけですね。ソ連とアメリカがこの後戦争をするということはなんとなくわかってると、戦争はしなかったんですけども、対立すると。資本主義トップと、社会主義トップということですね。ここで対立することは分かってるので、このポツダム宣言はその後のことを睨みながらの話し合いだったわけですね。ソ連はいつまで経っても日本が降伏しないんだったら俺たちが日本をとりにいくよとこのポツダム宣言の時に約束をしていて8/8に参戦するからねと宣言していたということです。なのでアメリカは早く日本を降伏させたかったということもあって8/6に広島に原爆を投下したんですけども、結局これも降伏せず、8/8にソ連が出てきちゃったということですね。で9日に長崎に2発目を落としてということになります。
で結局は8/15に昭和天皇のラジオ放送で終戦と。14日には無条件降伏を受け入れてたんですけども15日に国民に伝えて終戦という形になります。この時にソ連が攻めてきてたのが北方領土と樺太のところですね。なのでそこが今の日本領土ではないということです。
北方領土のことで揉めてるのは右のところに書いてあるポツダム宣言の一部の8のとこですね。日本国の主権は本州、北海道、九州、四国と我らが決定する諸小島に限られるということが書いてあって厳密には書いてないわけですね。ロシアの時代にどこを国境線みたいなことを樺太千島交換条約とかですね、そういったことを色々やっていたわけですと。そのところが境界線だったら、北方領土は日本のものだろうと主張しているのが日本になります。ロシアに関してはこの時に攻めてたところまで自分たちということですね。ここのズレで揉めてるということになります。
では最後頑張りましょう。昭和時代、177ページ。戦後になります。まず戦後は民主化を始めていくということでGHQが来ましたということですね。これのリーダーがマッカーサーでしたということです。色々民主化やっていきます。
まず1個目は政治の民主化ということです。治安維持法を無くしました。そして選挙権を満20歳以上の全ての男女に与えましたということをやりました。というのが大きなことですね。経済の民主化は先ほどお伝えした財閥解体をさせましたということが大きなこと。あとは1つは農地改革をやって、政府が自主的に地主から強制的に買い上げた田畑を小作農に売り渡すということをやりましたと。結局また同じようなことをやってるわけですね、地租改正的とか、太閤検地、地租改正、農地改革みたいな形で結局政府が介入して地主とかいっぱい土地を持ってる人から買い上げて渡してくということを結局やったわけですね。
歴史は繰り返すのでまた同じようになるかと思ったんですが、この戦後よかったのはこの後特需景気がきて日本の生活レベルが全員ぐっとあがったので、土地を売り払って自分たちの農地を放棄するような人たちが出なかったので農地改革は成功になってるんだよということです。
続いて③、教育の民主化は教育勅語に代わって教育基本法が出されたりということになります。
そして④の日本国憲法に関してはこれはもう散々勉強したので今日は割愛しますが確認をしておいて下さい。
ということでGHQが直接統治してたんですけども、結局朝鮮戦争が起きた時にアメリカ軍を朝鮮戦争に駆り出さなきゃいけないと。いうなると、日本国は誰が守るんだみたいな問題がでたわけですね。そうなったら自分たちで守らせないと無理だねということで日本を早く独立させようということが一気に進みます。これが1951年のサンフランシスコ平和条約と。ただ独立させても軍隊は置く権利は欲しいよねということでアメリカは日米安心保証条約を同時に結びましたというようなことでした。この時に作られたのが警察予備隊であり、それが保安隊となり、自衛隊となっているということでした。
では最後カッコ3番。これは先ほども伝えた通りで朝鮮戦争で特需景気になりましたよということですね。さらに所得倍増計画、池田勇人さんが内閣総理大臣をやったやつですね。さらに経済急速に発展して高度経済成長という形でなったんだよということです。
ただ1973年の石油危機があって高度経済成長は終わったんですけども低成長と、成長率自体は伸びないんですけど、成長はし続けてるというようなことが続いたということになります。それが最後終わるのがバブルのところですね。なのでずっと基本的には景気がいいというような状態が日本は続いていくというようなことになりました。ということで昭和の時代はこれで終了になります。
最後に178ページのとこですね。繊維工業と八幡製鉄所の設立のところ見ていきましょう。工業のとこですね。ちょっと戻りますが、日清戦争の前後に軽工業が一気に発達したということですね。その多くがアメリカに輸出されていて生糸は世界一だったんだということですね。生産額と輸出額が。ということはインプットしておきましょう。日露戦争の頃になると今度は清から得た賠償金とかも含めて八幡製鉄所を作ったりということで、重工業が一気に伸びていくということですね。大正時代には工業生産額が農業生産額を超えて一気に工業国になりましたということになります。なんですが、第一次世界大戦が終わると景気が鈍っていってさらに関東大震災も起きたりということでこの工業、農業のとこですね。産業の部分が大打撃を受けたんだよということです。それが回復させようとしたのが昭和時代の戦争のとこですね。ちょっと戻りますが確認しておきましょう。
ということで今日の18回は終了になります。これで予習シリーズの新しく勉強するといいますか6年生の上巻で基本的には新しい勉強は終了になるので、今日がこれで最後になります。ここから夏休み、そして2学期という形でみなさんの勉強は続いていく形になりますが基本的には社会は復習をしていくことですね。あんまり問題演習に時間をかけるというよりは今まで勉強したことをしっかりと覚え直していくのが大切です。この時のポイントとして色々あの手この手ですね参考書を広げても結局書いてあることは一緒なので何か一つ自分はこれをもとに知識を整理してますというのを決めてやってください。この一つが予習シリーズでもいいですし、塾で使ってるノートでも構いません。
あとは夏休みにもう一回そう復習を始めからやっていくというクラスもあると思いますのでその時に使ったテキストやノートでも構いません。入試までには何回もそれを見ていうというのが大切になります。なのでそういうものをコピーしてトイレに貼ったりと散々お伝えしてますが、そういう工夫が必要なんですね。なので注意して欲しいのは問題を解いて知識を確認するのはいろんなものをやったほうがいいですけども、これをもとにやって覚えてくっていうのは1個で構いませんので、それは自分が1番覚えやすいものを決めて何回も見ていくっていうのが大事になりますから、それを入試まで繰り返し繰り返しやってください。
では今日で単元別のラジオは終了になります。ありがとうございました。みなさん入試に向かって頑張ってください。以上です。さようなら!
▼音声データ
【参考文献】四谷大塚発行 予習シリーズ6年上
【著者】鈴木 俊(すずき しゅん)







