top of page
  • 執筆者の写真Shun

歴史ラジオの実況中継 第1回 旧石器・縄文・弥生時代

第1回内容は無料公開いたします!


皆さんこんにちは。シュンです。


今日から歴史の予習シリーズの解説をしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。歴史は中学受験だけに関わらず高校受験や大学受験にもそのまま同じ問題が出てくるので、実は、中学受験の歴史をしっかりやると、大学入試の日本史の勉強の半分ぐらいはこれで回答できるんじゃないかというところまで掘り下げてやっていく内容になります。下手をすると、高校入試の歴史・日本史の部分よりも中学入試の歴史のほうが詳しいぐらいまであるので、中学受験だけにとらわれず、長いスパンで見ていってもいいんじゃないかなと思っています。


なので、ぶっちゃけ中学入試をする人もしない人も、ここの部分は小学生のうちに勉強しておくと、後々ほかの勉強で難しくなってきたときに社会はそんなに勉強しなくても済むような状態を作れるので、しっかりやっていくことをお勧めします。


このラジオは、基本的には予習シリーズを手元に置いていただいて一緒に読みながら、第1回、第2回と一つずつ解説をしていきたいと思います。これをやろうと思った背景として、歴史はやっぱりストーリーが重要なんです。なので、予習シリーズに書いてある内容でも全然問題ないんですが、それを自分で読むことと、それから耳で聞きながら頭に入れていくということは結構重要だったりするので、そんな感じで使っていただければと思います。


では早速いきましょう。


予習シリーズの6ページを開いてください。歴史の勉強をする前に、まず丸暗記をしておかなきゃいけないのが、6ページの左下にある時代区分のところです。原始・古代・中世・近世・近代・現代と書いてありますが。これ自体はほぼ入試に出ませんが、大きな区分くらいに思っておいてください。


その下の旧石器からなんとか時代なんとか時代とずっとあるのが、これ自体を問われることはほとんどないんですけども、これがないと覚えていった知識を整理していくための引き出しを作ることができないので、まずここを丸暗記でいいので、この順番と、この箱をしっかり頭に入れておくことがまず第一歩かと思います。


これはお父さんお母さんにも一緒に手伝ってもらいながら、合っている、間違っているというのをクイズ形式でやってくといいかなと思います。旧石器・縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・戦国・安土桃山・江戸・明治・昭和・大正・平成・令和となったときに、この順番が違っていたら気持ち悪いなとか、何か抜けていたら、「あれ?」という感覚がつくぐらい何回もやってください。覚え方としては、九九を覚えたときみたいに繰り返し言う方法がいいと思います。漢字はあとで覚えればいいですから、まず一旦この並びを覚えていってください。


では、今日は第1回に限定してお話ししていきたいので、一番はじめの旧石器・縄文・弥生になります。


サブタイトルに「原始時代の暮らし」と書いてある通り、本当に原始時代の話になります。この原始時代と、そのあと続いていく第2回からの古墳・飛鳥・奈良とは大きく違うところがあって。まず歴史って、なんでタイムマシーンに乗って行ったわけじゃないのに昔の誰も知らないことが分かるのかというと、歴史を今の人たちが解明していくには、基本的に2通りしかないんです。


この続きのラジオは以下より


1つは、土を掘って、穴を掘って、そこから出てきたものから考えるということと、もう1個は、昔の人が書いた文字を読み解いて、こういうことがあったんだなということを整理・分析・解読していくという2つになります。今回の旧石器・縄文・弥生時代というのは、基本的には掘ったり、遺跡を見つけたり、そこから分かってきたことをやっていきます。なので、この回は人の名前が出てこないんです。なぜかと言うと、穴を掘っていったところで人の名前は書いていないからです。文字がまだ日本に無かった時代の話になるので、割と発掘をして調査をして、それで分かっていったことという形になります。なので、第1回は物や遺跡名などが中心になっていきます。まず7ページはあとで土器が出てきたときになるので見ておいてください。


じゃあ早速8ページの内容に行きましょう。


まず旧石器時代です。なんと旧石器時代はこのページ左上のちょこっとで終わります。これしかないんです。出てくる言葉も少ないので結構楽勝です。まず旧石器時代は、昔は日本に旧石器時代があったのかどうかが分かっていなかったんですね。それが分かったのが、岩宿遺跡というところを相沢忠洋さんという人が発掘して、旧石器時代があったんだなというのが分かりました。


なぜあったことが分かったのかというと、この旧石器という打製石器というものですね。これは単純に石を砕いて作った簡単な、単なる石が使われていた時代が大陸では出てきていたんですけど日本には出てこなかったので、旧石器を使っていたような時代のときに、日本にはまだ人が住んでいないんじゃないかと思われていたから無いと思っていたんですね。


ただ、この岩宿遺跡で見つけて打製石器、旧石器があるので、じゃあ日本にも旧石器時代のこの時代に人がいたんだなということが分かったということです。マンモスとかナウマンゾウといった絶滅したようなゾウも結構日本にいたということが化石から分かってきたというところです。これは野尻湖遺跡から出てきたなんて問題が出てきたので、この湖名も覚えておいてください。


続いて旧石器ともう1個、新石器とは言わないですが、打製石器に対して磨製石器ということで、1個レベルが上がっているんです。砕いてそれで終わりだったのを、ちょっと削って磨いて使っていた石器を磨製石器といいます。これは次の縄文時代から使っていくのがポピュラーなものになるので、打製石器は旧石器時代で、磨製石器と言ったら縄文以降に使っていたと思ってください。


続いて四角2のところの縄文時代の人々の暮らしを見ていきましょう。だいたい日本列島ができたのが1万年前と言われていて。できたというか、海面が上昇して島として独立したみたいな形です。この縄文時代は狩りが中心で、今とは違って、稲作や畑で何かを作っていたというよりは、動物を追いかけて狩りをしたりとか、あとは木の実とかを取って食べていくということが中心の生活でした。そのときに、磨製石器のほかに動物の骨を使った骨角器というような釣り針を作ったりとか、そういったこともやっていました。


この時代の名前になる縄文土器というのが出てきまして。普通の壺みたいなものから、豪華なのかごちゃごちゃした形の土器で、よく写真が出ているのが右の2つです。これは何に使っていたかというと、ほとんど壺として使っていたりとか、あとはお鍋のように使っていたものだと思ってください。ちょうど縄文土器の写真が予習シリーズに載っていると思うんですが、1つは実務的に使って、もう1個はお祭り事とか、何かお供え事ぐらいに使っていました。こんなのは使いづらいと思いますから、そういう使い道も何通りかあったんだなというふうに思っておいてください。


続いて9ページ。


「定住生活の始まり」と書いていますが、ようは、土器を使って、物を蓄えて、煮て食べるということができると、食料を蓄えられるので、別にいろんなところに住む必要がないんですね。そうすると、家を作って定住するということが始まりました。よく出てくるのが竪穴住居というような、漢字はちょっと難しいんですけど、これは10回も20回も書いて覚えるしかないので頑張って覚えてください。竪穴住居を作って村に集落ができるようになったということです。この象徴的な遺跡が青森県にある三内丸山遺跡というところなので、「縄文時代の集落の遺跡は何ですか」といったら「三内丸山遺跡」というふうに答えてあげてください。


定住するとゴミ捨て場や墓とかが必要になってくるので、それが貝塚というところになります。石器や土器もここに出てくると書いてあるんですが、基本的にゴミ捨て場ぐらいに思っておいてくれればいいです。これの代表的なものは何かというと、東京都にある大森貝塚になります。東京都の物って意外と社会で出てこないので初めてくらいだと思うんですけども、大森貝塚というのがあるのでしっかり覚えておいてください。


5番に貧富の差は無いと書いてあるんですが、貧富の差があったか無かったのかということはまだはっきり分かっていないぐらいなんですが、入試においては無いというふうに覚えておいてもらって構いません。


次に交易というふうに書いてあるんですが、お金なんていうものが無いので基本的に物々交換です。物々交換は同じ価値があると思ったものを交換します。食べ物と食べ物を交換したりとか、そういう交流がありました。そこで黒曜石という黒い石なんですけども、当時重宝されていて、それをお金の代わりみたいな形で使っていたものになります。


あとはその右にある土偶。これは結構みんな知っているんじゃないかなと思うんですが。土器で作った人形です。魔除けとか収穫を祈るためのものだったりするんですが、お祭り用のものだというふうに思っておいてください。


ひとくちメモにちょっと触れておきますと、さっきの大森貝塚は、明治時代にアメリカ人のモースさんという動物学者の人が見つけました。この人がなんで来ていたかというと、明治時代って江戸時代が終わって日本がちょっと遅れていた時代だったので、いろんな外国人をお雇い外国人と言って呼んでいろいろ教えてもらっていた時期だったんです。そのときに来ていた1人です。これはまた明治時代に出てくるので、そのときに懐かしいなと思って思い出して下さい。


続いて10ページをめくると、


早くも弥生時代になります。弥生時代の代表的なものとして、稲作作りと、金属器を使ったことが弥生時代の大きな特徴になります。予習シリーズにも、「縄文時代の終わり頃、中国や朝鮮半島から稲作と金属が伝えられました」と書いてありますけど、こんな親切丁寧に教えてくれる人はいないので、これは伝わったというよりは、「この稲作と金属器の文化を持っている人達が移住してきた」ということになります。


じゃあ、もともといた縄文時代の人たちはどうしたんですかというと、ここは戦争があったと思いますし、戦いがあって、九州から来ているので、どんどん北のほうに追いやられていったりとか、あとは沖縄のほうに追いやられたりという形で進んでいきました。


なので、過去に稲作の始まりは、稲作は九州北部から日本の各地に広まりと書いてあるんですけど、これは弥生時代の文化を持った人が侵略してきたということですね。紀元前2世紀頃に青森県まで到達していますということです。


しかし、北海道と沖縄では稲作は行われず、狩りを中心とした生活が続いていました。続縄文文化なんていうふうに北海道は言われたりしますが、そのままでしてと。これは、ようは弥生文化を持った人たち、すなわち弥生人がここまで来なかったというだけのことです。一方、戦って滅ぼされちゃったというところもありますが、同化していったところもありますので、実は今でも日本人は、縄文っぽい顔の人と弥生っぽい顔の人がいたりします。というのが弥生時代なので、稲作が伝わったというよりは、その文化や技術を持った人たちが入ってきたというふうに思ってください。


この後の歴史も、基本的に日本は大陸から見ると端っこにあるので、中国や朝鮮のほうが優れた技術というか、先に発明していた部分というのがあるので、それを持って日本にどんどん伝えていくとか、その文化を持った人たちが入ってくるということが続いていくので、これは稲作だけに限ったことじゃないというふうに思っておいてください。稲作をやっていたかどうかというのが分かったのも、これも遺跡が見つかったからになります。これの代表的な遺跡が福岡県の板付遺跡と静岡県の登呂遺跡になるので、これは水田の跡があったということでよく問題が出てくるので、しっかり覚えておいてください。


その右にある真ん中の日本地図の吉野ケ里遺跡というのは、これは稲作の遺跡ではなくて環濠集落という、ようは、日本の昔のお城と同じように堀があったということが分かったので、これは戦いがあったんだなということが証明できた遺跡になります。なので、ちょっと登呂遺跡と板付遺跡と違うことで問われるので、ここは区別をしっかりと付けていきましょう。


続いて3番の稲作の様子ですが、なんで稲作をやっていったのかというと、水田の跡地以外にもいろいろと出てくるんです。その代表的なのが石包丁というものと、田下駄というような、実際に稲作作りで使っていたとされる道具が出てきたりとか、あとは高床倉庫という倉庫を作っていた、これも柱の跡から分かったりするんですけども、そういったところが見つかったからということが非常に大きいです。結構写真も出てくるので、11ページの右上にある田下駄とか石包丁の写真はしっかりと見ておいてください。


続いて、稲作ともう1個一緒に伝わったというか、持ってきた金属器になります。金属器は鉄器と青銅器の2つです。鉄と銅だと思ってください。鉄は武器や木の農具を作る工具として使われていたということで、実用品として使っていた感じです。一方銅は、銅剣・銅矛・銅鏡・銅鐸なんていう、右に写真があるのですが、豊作を祈る際の祭器として使われていました。お祭り用の装飾品みたいな感じですね。お祭り用にしては真っ黒じゃないかと思うんですけど、これは10円玉と一緒で、10円玉の新しいやつもピカピカだと思うので、当時は多分ピカピカだったんだと思います。なので、結構金色っぽく輝くので、お祭り用にもぴったりだったのかなというところです。


ちょっと覚えておいてほしいのは、日本はこの使い方が綺麗に分かれているんですが、実は大陸は分かれていなかったんですね。始めに銅が発見されて、銅を使うようになって、そのあと鉄を使うようになってというふうになっています。鉄のほうが銅より硬いので、初めは銅でいろいろな武器や農具として使っていたんですけど、それが鉄に変わっていったと。日本はなんで綺麗に分かれているのかというと、それは大陸でしっかり役割分担ができたあとに日本にその文化を持ち込んだからというのが答えになります。なので、日本は綺麗に使い方が分かれているということは知っておいてください。


では、続いて12ページです。


社会の変化ということがあって、稲作があるとどんどん備蓄が増えていくので、蓄えが多いか少ないかということで貧富の差、身分の差というのが広がっていくようになりました。結構歴史の問題は、この弥生時代に関わらず、これからずっとこういった貧富の差とか、誰が支配者で、なんていうようなことが出てくるので、今の時代から考えるとちょっと残念な感じは受けるんですけど、こういったところが世界を含めて歴史はずっと繰り返してきているんだということは知っておいてください。


(6)はさっき出てきた環濠集落ですね。こういう堀みたいなのがあったよという写真もあるのでしっかり見ておいてください。7番、矢じりの話が出ていますが、弓矢がだんだん狩りから戦いの道具に変わっていったというふうに覚えていきましょう。変わっていったというよりは、戦いが増えたために、どんどんこういった武器として使われるものも増えたので、結局いっぱい出てくるということになるので、戦いがどんどん増えてきているんだというふうに思っておいてください。


戦いが増えて村がどんどん大きくなっていくと、そこにいる人たちに王様みたいなのが出てきますよと。王は地域の支配者に成長すると、次の時代には豪族なんていうふうな、王様一族みたいなのが出てくるんだよということを知っておいてください。


最後にひとくちメモに書いてあるように、戦いの理由って、じゃあ、なんで戦うねんという話なんですけど。これは土地を争って取るというのが基本的な考え方になります。なんでというと、とにかく食べ物を確保することが昔は非常に重要なので、稲作に適した土地だとか、それに必要な水とか、あとは平地がないとできないわけなので、そういったところをしっかりと取ることによって村が豊かになってくるんですね。なので、それができる土地が欲しいので隣の村から奪うなんてことから戦いがどんどん始まっていくというふうに思っておいてください。


今回の単元の最後なんですけど、四角4番の「中国の歴史書から見た弥生時代の日本」ということで、弥生時代のことだけ書かれています。なんで中国の歴史書がここに登場するか分かりますか? これは、日本にももちろん日本語で残っている文書はいっぱいあるんですけど、日本のものにこの弥生時代のことは書かれてないんですね。


書かれていないのはなぜかというと、その時代に日本に文字が無かったのか、記録する媒体というか、紙や木簡などが無かったからなのかは分からないんですけど、とにかく日本のところでこの時代について分かることが書かれていないんですね。書かれていないので中国の歴史書を引用して「こんなことがあったんだろう」というふうに日本の歴史としては一旦捉えているというものになります。それだけ中国が進んでいたということですね。出てくるのはこの3つになるので、これはしっかり覚えましょう。『漢書地理志』と『後漢書東夷伝』、そして『魏志倭人伝』になります。


この「漢書」というのは中国の漢という国のことが書かれた歴史書で、その中の「地理志」は章だと思ってください。入試の問題では『漢書地理志』でもそのまま5文字で覚えちゃっていいんですが、一応そういう形になっています。


続いて「後漢」というのは、「漢」のあとに「後漢」という国があったというふうに覚えておいてください。その「東夷伝」というところ、ようは東のことですね。「夷」というのはちょっと差別的な感じで使うときなんですが。ようは、当時の中国から「遅れた人たち」と言われていたので、「東の遅れた人たちの話」という章に書かれているということです。


『魏志倭人伝』は「魏」という国の歴史書になりまして、その「倭人伝」ということで、ちょっと位が上がったような感じですね。中国は日本を「倭」というふうに呼んでいたので、そこにいる人たちの話ということで、一つ日本の話ということでちゃんと章を作ってくれているんだなというふうに思ってください。


ここに何が書いてあったのかをよく聞かれるので、しっかりと覚えていきましょう。まず『漢書地理志』は、100個国があったということが出てくるので、これだけです。なので、「『漢書地理志』は100余りの国が日本にあったと書いてあった」というだけなので、これだけ覚えておいてください。


次の『後漢書東夷伝』は、金印をあげたということが書いてあるんですね。漢委奴国王というふうに書いてある金印です。これは「漢」という国の中の「委(倭)」という日本ですね。ようは、中国の一部だというふうに思われていたということです。その中に「奴」という国があったと。その国王ということで中国が認めましたというものになります。


これが本当かどうかは分からないんですが、これはちゃんと出てきているんですね。江戸時代の半ばに博多の志賀島という島でこの金印が見つけられたので、この『後漢書東夷伝』に書いてあったことは本当なんだということも分かったというふうになっています。


次の『魏志倭人伝』は、これは有名な邪馬台国の卑弥呼さんがいたよということと、30余りの国があって、それを従えていたと。ようは、大きい国で小さい国を子分みたいにしていたということが書いてあったというものです。なので、卑弥呼さんという名前は中国の歴史の中にしか書いていなくて、日本の歴史には載っていないんです。この卑弥呼が「中国の魏に使いを送って、魏の皇帝から親魏倭王の称号と銅鏡を預けられたとされています」と書いてあります。「されています」と書いてあるのは、これは見つかっていないからです。なので、邪馬台国がどこにあったか分からないというのは、確かに分かっていないと思うんですが、これはこれが出てこないから分からないんですね。ですが、『後漢書東夷伝』に書いてあったことも金印が見つかっているので、これも本当のことなんじゃないかということで、今、日本の歴史の正史としているということになります。


ひとくちメモのところに書いてありますね。邪馬台国の位置については、中国の北部にあったのか奈良にあったという説の2つだよと。中国の北部というのは大陸に近いので、この辺にあったんじゃないかということで、あと、大和というのは奈良県なので、このあと古墳時代・飛鳥時代・奈良時代と、割と奈良県を中心に日本の歴史が進んでいくので、その時代のほうにあったんじゃないかという考え方です。この2つが有力です。これも「有力」なので。本当かどうかはまだ分からないということです。ざっくり内容は以上です。


14ページに、さっきお話しした岩宿遺跡・三内丸山遺跡・吉野ヶ里遺跡の内容が詳しく書いてあるので、しっかりと見ていて下さい。黒曜石も載っています。遺跡はどこにあるのかということと、何のために覚える遺跡なのかということですね。岩宿遺跡は先ほどお伝えしたように群馬県にありますが、旧石器時代、打製石器があったことが分かったということで覚えるもの。三内丸山遺跡は青森県にありますが、これは竪穴住居の跡がいっぱいあって、縄文人が定住していたことと集落を形成していたということが分かったよというものです。吉野ヶ里遺跡は佐賀県にありますが、これは環濠集落ですね。堀があったので戦いの跡というのがあって、結構激しめの戦いが当時あったということが分かったというものになりますので、これはしっかり見てください。


15ページの今回のポイントのところは、今説明したものがバーッと書いてあって、簡潔に書いてあるので、これはしっかり見ておいてください。こういう簡潔にまとまっているのは何回も見てください。こういうのをコピーしてトイレに貼ったりとか、車で送ってもらうときとかに何回も見るとか、そういうふうにしてください。ここに書いてあることをこのまま覚えてしまえばいいので、これをノートにそのまま写したりして、例えば、旧石器時代の日本は、さっき言ったように2個覚えればいいわけなので、2個何か覚えなきゃいけないことがあったよなというふうにやって、これが書けるか。縄文時代は4つかとなったときに、4つ覚えなきゃいけないことがあったら、これはちょっと少ないですけど、自分で書き加えておいてもいいと思うんですね。こういうのを書いておくと。で、弥生時代もと。


入試問題とかこれからの問題で、「石包丁って何時代の話ですか?」みたいになったときに、しっかり「稲作で使われていたから弥生時代」と答えればいいんですけど、それが分からなかったときも、「これ、確か弥生のときに書いてあったような気がする」というふうに、自分が勉強した教科書とかノートを思い出す。「真ん中ぐらいにあったから弥生時代かな」というふうに、意外とそうやって点数を取れたりもするので、しっかりと1つのものを何回も見るということが大切です。


なので、結構歴史の参考書って本屋さんに行くといっぱい売ってますけど、別に買わなくていいです。読まなくてもいいので、この予想シリーズがボロボロになるくらい徹底的に見るということですね。これが重要なので、ほかのものに手を出さなくていいです。確かに面白いのでどんどん読むのは読むでいいんですけど、覚えるための教科書は1個というふうに決めて、しっかりと勉強を進めるのがいいです。なので、この予習シリーズは6年生の入試が終わるところまでずっと持っていきますし、下手な話、はじめに高校入試や大学入試でも使えると言ったので、中学入試が終わっても社会の歴史のものだけは取っておいて、このあとずっとこれを使っていってもいいと思いますから、しっかりと何回も見て覚えていくということはやってください。


では第1回のポイント解説は以上になります。いかがでしたでしょうか。これは毎週第2回第3回とやっていくんですが、何回も聞いていただいていると耳で覚えるということもできると思うので、いろんな使い方をして皆さんの社会の成績をアップしていただければと思います。今日はこれで終了になります。ありがとうございました。


閲覧数:237回0件のコメント
bottom of page